2013年6月29日土曜日

ガラシャ通りは只の道

大雨の週内と打って変わって晴れたので、淀川周回コースを走りました。

枚方までは特に変わったことなく、いつもより車の量が多かったくらい。枚方市駅を潜り抜け、淀川河川道路を気分良く走り出したら、前方をオタオタ渡る小さい小さい影が・・・。咄嗟にかわしてUターンし戻ってみると、親指くらいの大きさの子ガメ。自転車に轢かれたらひとたまりもないので「ゆきかぜ」を片手で支えながら道の端っこに置いたのですが、トコトコ戻ってきます。どうやら「ゆきかぜ」の影に入りたいみたい。妙な本能やと感心しながら道の外れの草の中に入れておきました。
なんてカメでしょうね。特徴は「顔が大きい」(子供やからか・・・)「眼が出てる」「甲羅の真中に背骨模様?」「尻尾が立つ」くらい。変な外来種じゃなきゃいいけどね。ともあれ、これで私、子ガメ救出3匹目。乙姫はどこじゃ?

御幸橋からは嵐山方面に乗り入れ、本日は長岡京市の勝竜寺城跡へ。前回の淀城跡はがっかりだっただけに今度は期待大。ソフトクリームとか売ってるかな?(何の期待や・・・子供か?)嵐山方面への自転車道から宮前橋を渡り、名神高速を潜って次の川沿いを右折。真っ直ぐ行くと道なりに川を渡り、道路は「ガラシャ通り」に。

そうなんです。勝竜寺城は京都の西側の防衛拠点だったそうですが、細川ガラシャ夫人がお輿入れしてきた城なんですね。ガラシャ婦人は明智光秀のお嬢さんで本名は「珠(たま)」さん。大層美人で賢い姫だったそうです。才色兼備って奴ですね。お父さんの明智光秀も、日本史上は反逆者のイメージが強いですが、実は大変な賢候だったって話も良く聞きます。織田信長の印象が強烈なので、その影で損してるかも知れません。ま、そんな人のお嬢さんですから、只モノではなかったのでしょう。旦那は細川忠興で、よく知らない人ですが、あの細川家の先祖なんですな。で、新婚時代をこのお城で過ごしていたら父上が「謀反じゃあ」になって、外部に幽閉されたそうです。その後戻ったそうですが、その頃からキリスト教に傾いてその後洗礼を受けたとのこと。彼女は関が原の合戦中に、夫の敵方・石田三成に人質に取られそうになったのを拒み、家臣の手で命を絶ったそうです。まだ38歳。

見事な一生と言うのがあるとすれば、まさに「お珠さん」の生涯もそうでした。苦難の連続だったようにも見えますが、せめてその中に夫婦として幸せな瞬間が幾つもあったことを400年以上の後世から祈るだけです。サムライも凄かったけど、同時代の女性も凄かった。

現在の勝竜寺城跡は、復元なのかどうか判りませんが小奇麗にされ、小さな庭園、スイレンが咲くお堀、簡素な休憩室と展示室も設けられ、少しほっとする空間になっています。「ガラシャおもかげの水」と名づけられた井戸があって、蛇口から地下水(水道水)をくみ出せます。ほんのり甘い美味しい水でした。大勢の人がペットボトル持参で取水?に来ていました。

で「ガラシャ通り」をJRの駅方向へ少し走ってみました。私としては「倉敷 美観地区」や「長浜 黒壁スクェア」のイメージだったのですが、「ガラシャ通り」には何もない!いや、フツーに会社や工場や学校や郵便局はありますよ。でも「ガラシャ夫人」の面影は何もない。名前だけだったっす。がっかり。

その後は、木津川自転車道に戻って向い風・追風の織り交ざる中を、少々へばりながら帰宅。本日走行78.4km。6月は329.3kmでした。
少し前からサイコンが停止しがちだったのですが、センサー側のボタン電池を換えたら一発復旧。そんなもんなんですね。

温故知新。噛み締めるとどんどん深くなる言葉です。

勝竜寺城跡
ここから入ります

名前だけだった ガラシャ通り
救出した超・子ガメちゃん















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