2013年6月29日土曜日

ガラシャ通りは只の道

大雨の週内と打って変わって晴れたので、淀川周回コースを走りました。

枚方までは特に変わったことなく、いつもより車の量が多かったくらい。枚方市駅を潜り抜け、淀川河川道路を気分良く走り出したら、前方をオタオタ渡る小さい小さい影が・・・。咄嗟にかわしてUターンし戻ってみると、親指くらいの大きさの子ガメ。自転車に轢かれたらひとたまりもないので「ゆきかぜ」を片手で支えながら道の端っこに置いたのですが、トコトコ戻ってきます。どうやら「ゆきかぜ」の影に入りたいみたい。妙な本能やと感心しながら道の外れの草の中に入れておきました。
なんてカメでしょうね。特徴は「顔が大きい」(子供やからか・・・)「眼が出てる」「甲羅の真中に背骨模様?」「尻尾が立つ」くらい。変な外来種じゃなきゃいいけどね。ともあれ、これで私、子ガメ救出3匹目。乙姫はどこじゃ?

御幸橋からは嵐山方面に乗り入れ、本日は長岡京市の勝竜寺城跡へ。前回の淀城跡はがっかりだっただけに今度は期待大。ソフトクリームとか売ってるかな?(何の期待や・・・子供か?)嵐山方面への自転車道から宮前橋を渡り、名神高速を潜って次の川沿いを右折。真っ直ぐ行くと道なりに川を渡り、道路は「ガラシャ通り」に。

そうなんです。勝竜寺城は京都の西側の防衛拠点だったそうですが、細川ガラシャ夫人がお輿入れしてきた城なんですね。ガラシャ婦人は明智光秀のお嬢さんで本名は「珠(たま)」さん。大層美人で賢い姫だったそうです。才色兼備って奴ですね。お父さんの明智光秀も、日本史上は反逆者のイメージが強いですが、実は大変な賢候だったって話も良く聞きます。織田信長の印象が強烈なので、その影で損してるかも知れません。ま、そんな人のお嬢さんですから、只モノではなかったのでしょう。旦那は細川忠興で、よく知らない人ですが、あの細川家の先祖なんですな。で、新婚時代をこのお城で過ごしていたら父上が「謀反じゃあ」になって、外部に幽閉されたそうです。その後戻ったそうですが、その頃からキリスト教に傾いてその後洗礼を受けたとのこと。彼女は関が原の合戦中に、夫の敵方・石田三成に人質に取られそうになったのを拒み、家臣の手で命を絶ったそうです。まだ38歳。

見事な一生と言うのがあるとすれば、まさに「お珠さん」の生涯もそうでした。苦難の連続だったようにも見えますが、せめてその中に夫婦として幸せな瞬間が幾つもあったことを400年以上の後世から祈るだけです。サムライも凄かったけど、同時代の女性も凄かった。

現在の勝竜寺城跡は、復元なのかどうか判りませんが小奇麗にされ、小さな庭園、スイレンが咲くお堀、簡素な休憩室と展示室も設けられ、少しほっとする空間になっています。「ガラシャおもかげの水」と名づけられた井戸があって、蛇口から地下水(水道水)をくみ出せます。ほんのり甘い美味しい水でした。大勢の人がペットボトル持参で取水?に来ていました。

で「ガラシャ通り」をJRの駅方向へ少し走ってみました。私としては「倉敷 美観地区」や「長浜 黒壁スクェア」のイメージだったのですが、「ガラシャ通り」には何もない!いや、フツーに会社や工場や学校や郵便局はありますよ。でも「ガラシャ夫人」の面影は何もない。名前だけだったっす。がっかり。

その後は、木津川自転車道に戻って向い風・追風の織り交ざる中を、少々へばりながら帰宅。本日走行78.4km。6月は329.3kmでした。
少し前からサイコンが停止しがちだったのですが、センサー側のボタン電池を換えたら一発復旧。そんなもんなんですね。

温故知新。噛み締めるとどんどん深くなる言葉です。

勝竜寺城跡
ここから入ります

名前だけだった ガラシャ通り
救出した超・子ガメちゃん















2013年6月23日日曜日

雨の和束・もののけの森

雨中走行でしたが和束まで行きました。

梅雨時になるとクセ毛が一層巻毛になって始末に終えんので、本日はまず散髪。その後、加茂から府道5号線で、できれば滋賀県境まで、もしかしたら信楽まで行ってみようと思ったのですが、雨が強くなり和束の山の中で折り返しでした。

加茂まではご機嫌ルート。雨模様にも拘らず、たくさんの自転車と擦れ違います。皆さんきっと朝から走ってて、帰り道なんでしょうか。それからR163をちょこっとだけ走って、すぐ府道5号線に入ります。ロードバイクの定番練習コースだそうで、ここでも何台か擦れ違いました。道路は川に沿っていて、緩やかに登っていますが、時々下ったりもします。和束町は「宇治茶」が自慢らしく、「茶源郷和束」の看板があって、実際山の斜面にはウネウネと茶畑があります。

しばらく走るとダウンタウンに出ますが、雨もそれ程強くないので、もう少し行ってみようと役場前を通過。道は次第に山の中に入って行き鬱蒼としてきます。眼下には渓流が流れ、夏の日なら大変気持ちの良いサイクリングコースと察します。でも今日は肌寒いくらい。通る車も少なく練習コースには打ってつけですね。そのうちトンネルがあって、少し行くといきなり道路が拡幅され人家がまばらに。
どこだか判りませんが、停車・休憩としました。ここで本日の新兵器「TOPEAK 携帯型スタンド」登場。クランクに嵌めるタイプで、アイディア賞ものです。強風の時なんかは不安ですが、平坦地で何もない時は重宝します。次女の父の日!。

で、休んでたら雨が強くなってきました。ドリンクも凍らせてきたのですが全く解凍されず、寒くなってきたので「本日これまで」宣言。後で調べたら「五ノ瀬」と言う場所でした。県境までは10キロ位あったみたいです。帰りは下りなので楽なのですが、少し走ると脇道発見。府道5号もいい加減鬱蒼ロードですが、薄暗い脇道は一層鬱蒼としていました。で、少し探検。

山に入る道のようですが、小さな川が流れていて、勿論誰も居ません。大きな一枚岩が鎮座し苔やら蔓性の葉っぱがアイパッチみたいに纏わり付いています。周囲には濃いオゾン。繁る木のトンネルのせいで雨もかかりません。小さな川は真っ白な飛沫を飛ばし勢い良く流れています。川の音と雨の音、大きな葉っぱがふわーっと落ちてきた時は心底びっくりしました。いやー、山犬様やら木霊たちがそこここに現れ消えても不思議はありません。時間が止まったかと思いました。それに誰かが見てる?怖いのではなく落ち着いた眼差し。私はここに居るよ、ずっと昔から って。

その後は下り道を飛ばして、加茂から奈良市に入り、更に強い雨の中びしょびしょになって帰宅。その後の「ゆきかぜ」のメンテに1時間近くかかってしまいました。本日走行69km。
雨中走行しても、本日はギアチェンジもチェーンもブレーキもスムーズでした。やはりマメにメンテすると違うものですね。

和束の森も、天気がよければ陽気なハイキングコースで歌が生まれるのでしょうが、今日のひっそりしっとり人知らずの森からはお話が生まれそうです。
木霊はいつでも傍にいます。山犬様や恐竜だって出てくるかも知れません。
トイレは最寄のコンビにまで我慢しましょう。

え?オレ? ・・・。 寒かったよねー今日は。

何もこんな日に走らんでも・・とも思います
新兵器 TOPEAK携行スタンド




小さな滝もありました
木霊 見えますか?






イーグルが飛んできた(先月だけど)

戦争が始まったわけではありません。

それも1ヶ月前の出来事。外で犬と遊んでたら独特のクオーンって音が響きました。飛行機?ヒコーキ?思わず見上げると南の方からジェット戦闘機が2機、並んで飛んできます。わお!スマホスマホ・・・と取り出してパス入れてカメラ起動して・・ ああアンドロイド、シングルプロセッサ 遅! 形はどう見てもF-15イーグル。スマホは間に合わず行ってしまったのですが、しばらくするとまたクオーーン!
今度は間に合いました。と言っても1年半前のスマホのカメラですからシルエットが映ったって程度。

はい、思い出しました。奈良にある航空自衛隊の士官学校で文化祭があるときに飛んでくるのです。士官学校には(多分)滑走路がないため着陸できず、そのまま飛び去るのですが、結局我家の上も3回飛んでゆきました。戦闘機は騒音が・・・と言いますが、そして那覇空港なんかでは結構音に驚いたものですが、今回はそれ程とは感じませんでした。あの低空ならヘリの方がうるさそう。
以前は文化祭の前には自治会にチラシが配られ、「聞き慣れない大きな音が聞こえますが・・・」と平和な奈良県民にお断りしてくれたのですが、この頃は恒例になったからか、お知らせはありません。(要らんけどね) なんで全くの不意打ちでありました。

士官学校は古墳の合間にあって(ホントに)、周囲に自転車道があるため、たまに走りますが、構内には古い飛行機が置いてあります。滑走路ができるほど広くはなく、ヘリ着陸が精々。どうやって訓練するのかいまいち理解できません。シミュレータかな?FS9?

私も20代の後半で2泊3日の陸上自衛隊体験入隊をしたことありますが(会社の教育の一環で)、急にグラウンドにヘリが降りてきてびっくりしました。結構、普通の事なんですね。体力の落ちかけている頃だったのでエラい大変だったです。土嚢担いで50m走ったり、朝の4時に叩き起こされ山に行軍したり。あのホロ付きトラックに乗って外を見ると、外が「娑婆」に見えるから不思議ですよね。そう言や、私の後輩は、グラウンドの砂場で走り幅跳びしてマリッジリングを落とし、地雷探査機で探して貰ってました。えらいお世話になったもんです。

そんなことで市民から見ればワンダーランドなんですが、中に居るほうは結構大変だろな。一緒に酒飲んだ人は「資格取ったら民間に行きたいけど、民間って厳しいですか?」と何とも暢気なことを仰っていました。厳しさが違うけど厳しいよと返しましたが、生命を盾にする仕事と較べるのは難しいですよ。

そう言や太平洋のシンボーさんは海自の飛行艇(US-2)に救助されたそうですね(もうWikiに出てる)。US-2は、私の永遠の憧れ:万能戦艦マイティジャック(古!)のミニチュアみたいで好きです。凄い飛行機&プロが日本にもいるんですねえ。

イーグルも良いけど、US-2飛んできてくれたらもっと大きく写るのになあ、水くさい。
え?水のないとこには来ない?

US-2の原型?PS-1
F-15イーグル 到来





2013年6月16日日曜日

竹内街道を往く

日本最古の国道(官道)竹内街道(竹ノ内街道)を走りました。

走った・・・なんて表現はおこがましい。牛歩並みでしたんで。
最近北東・北西方面に遠征したので今日は南西と思い、地図を眺めたところ「ふたかみパーク」という道の駅を見つけ、ここに行くコースとして、竹内街道を選びました。街道って響きがいいですが、今やR166です。竹内街道は堺から飛鳥への官道として7世紀に作られたそうで、遣隋使もこの道使って船に乗ったとか。

とにかく一旦大阪は羽曳野に出なくちゃなりません。手っ取り早く法隆寺から王寺経由でR25を走り、南河内サイクルラインに入って、河南橋を渡って太子町に入る。そのまま竹内街道(R166)に合流、竹内峠を越えて葛城市・竹内交差点で左折し、ふたかみパークに至ると言うプランです。帰りは北上して真美が丘ニュータンを横断、金剛葛城自転車道で帰ってくるつもり(でした)。

久し振りの南河内サイクルライン。今日は封鎖は無かったので、半分は初めてのコースです。河川公園と一体化しているので暫しコースロストし、ロードバイクが通るのを待ち受けて尾行しておりました。河南橋も当てずっぽうで上がってみたら正解で、なんとか太子町へ。太子町の謂れは良く判らんのですが、どうやら聖徳太子と関係あるみたい。道は緩やかに登ってゆきます。街中の旧道を走り六枚橋交差点を右折すると、すぐに交番前交差点に出ます。ここを左折(東進)すると竹内街道なのですが、山に向かって登る細い道って感じで国道の貫禄はありません。これでいいのかなあと不安に思いながらチンタラ走っていると、数台のロードバイクに抜かれ(取り敢えず道は合ってそう。でも速!)、すぐに「道の駅 太子」がありました。

最初の休憩。ここまでもずっと坂道だったので、暑さと相まって正直あーもーいいやって感じだったのですが、引き返す訳にもゆかずダラダラと坂道に乗り出します。で、(゜ロ゜)! いやーーみんな偉いねー。凄いねー。よくこの道をミニベロとかで登ってますねー。わたしゃホントに牛歩、更に2回停止しましたよ。恥ずかしいねえロード乗ってて。せめて高いバイクじゃなくて良かった。(ごめん、ゆきかぜ)

竹内峠は文字通り峠です。山の中の上りと下りの境目。下りだ!やっほー なんて訳にゆきません。ヘロヘロ状態に拘らず強靭なブレーキ操作が要求されます。腱鞘炎の右手中指は辛い。何と下りで下ハン握ってブレーキングしてました。SORAのブレーキだったら本当に停止できなかったかも・・・。途中で旧道に入り、のんびりポタリングと思ったのですが、旧道も下り坂(当たり前か)。心身ともに余裕がなく何も見れず、停まれずに竹内交差点まで行ってしまいした。モッタイナイ。

何とか「ふたかみパーク」に辿りつき、思わずソフトクリーム。昼寝でもしたかったのですが、混んでいたので30分休憩で出発。R168を北上します。ところが真美が丘ニュータウンへの右折ポイントを逃し、迷子に。スマホで地図見ると上牧町を横断すると葛城自転車道に出られそうです。山を拓いた住宅地のUP/DOWNを走って消防署のある三叉路に。左:王寺 直進:西大和ニュータウンとあります。王寺に出ちゃうと「始めに戻る」みたいで嫌なんで直進選択。これが拙かった。ニュータウンの中は迷路。どこに居るのか皆目判らなくなり、結局大きな道を走ってると王寺に出ました。はい、振り出しに戻った。何のこっちゃ。

ふたかみパークでは「帰れるかなあ」と思った位の困憊だったのですが、その後は持ち直し結局本日走行72.4km。ソフトクリームの効果って凄い。そして古道の感慨もなく峠の厳しさだけを痛感した次第。
峠の語源は「手向け」だそうです。人は峠を越える時、様々な想いに手を合わせたのでしょう。軽く越えられると思う方が間違っていますね。峠は人生の師なのかも知れません。

本日は落第。(_ _|||)


太子があちこちに・・・
定番ですね。竹内峠 府県境です




2013年6月15日土曜日

スポンソン交換

久し振りにカヤックの話。ようやくスポンソンを交換しました。

左舷スポンソン空気漏れで航行不能?になっていた我がフェザークラフト・カフナ はつゆき号。夏を前にいい加減ちゃんとせなあかんと、1ヶ月前に純正スポンソンを発注。カナダからお師匠が取り寄せてくれるので2週間ほどかかり、その後ウダウダしていたのですが、今日の天気予報を見て「こんな日にやるしかない」と取付を決意。

難しい事ではないのですが、何しろ2階のベランダで作業するので、カヤック一式を持って上がるのが重くて面倒だったのです。推定30kg位ある収容バックを担いで登り、船体布を拡げます。スポンソンは船体布の内側に入っていますので、まず船体布を裏返します。すなわち、コックピット開口部からバウ側,スターン側を順番に「むにゅー」っと裏返します。実際はそれ程容易ではなく、布と言ってもウレタンとナイロンの合成品。特にハル(喫水線以下)は丈夫なので糞詰まることもあります。

スポンソンの入口は、船体中央、コックピットの所にあり、この隙間からバウ側・スターン側に入れてゆきます。スポンソンも布製なので素直に入って行く筈ありません。そこでバウ側、スターン側のスポンソンの先っぽ(スポンソンと船体布を繋ぐ?ための開口部)から、私の場合はLAN工事よろしく、メジャー(巻尺)を入れて中央開口部まで迎えに行き、メジャー先端にスポンソンをコードバインダで括り付け、先端開口部からメジャーを巻き戻します。先端開口部にスポンソンが届いたら、船体布のバリみたいな結合用の耳?に樹脂製のコードバインダでスポンソンを固定。10分あれば前後きれいに入ります。

船体布を元に戻し、組み立ててみました。毎年、初めて組み上げる時は、何か間違います。今年は、あろうことかバウ側・スターン側のフレーム(カフナは別々になっています)をテレコに入れてしまい、キールがなかなか嵌らない。やっと入ったと思ったらバウが妙にスカスカ。で、ようやく気づきました。参ったね。気を取り直してキールを外し(これも大変だった)フレームを入れ替え、キールを入れて、チャイン及びガンネルのバーを入れて骨組みだけ作ってみました。で、スポンソン空気注入。本来なら一晩放っておいて空気漏れをチェックしたいところですが、まもなく「雨」なので、スポンソン押してみて、聞き耳立てて「異常なし」としました。

新しいスポンソンの色は黒。デフォルトのはオレンジ色なんで、外から見えはしませんが、両舷で色が違います。今後「はつゆき」では、左舷・右舷を「ポート・スターボード」ではなく「ブラック・オレンジ」にしようかしらん。 取舵一杯! は Hard a Black! なんかエンピツの芯みたいやな。
これで、修理完了。いつでも出航可能です。が、結構あちこちのコーティングが剥げて来て、ボロボロがたくさん残りました。「はつゆき」は進水が2006年で、小型船舶定期検査の6年目。ボロも出るわな。

それにしてもスポンソンっていろんな乗物についているんですね。宿敵・ジェットスキーから飛行艇まで。意味的には胴体下部の横張り出しとの事。と言うことは、私の脇腹の脂肪もスポンソンか?

確かに浮力はアップ。

裏返すと打ち上げられたイルカみたい。
左が 旧・新スポンソン
左舷にも張りが出ました













2013年6月9日日曜日

淀城跡に行ってみた

3ヶ月ぶりの枚方周回コース。少しケムシ予感はしましたが、府県境は一気に突破と言い聞かせ出発。

ところが、周回コース定番の第一トイレ休憩場所、天野川トンネル(川がトンネルに入る所)でいきなり遭遇。マイマイガのケムシがトイレの壁に整列。帰宅後大発生場所を再度調べると、生駒市から交野市にかけてと書いてある!丁度周回コースとぴったり。しかもマイマイガの大量発生って2,3年続くんだって。来年も枚方周回コースには充分な注意が必要です。Wiki読んでると北米でも森林に大被害があったそうなので、まさに人類の敵。ヨーロッパから人間が持ってきたものが広がって収拾つかなくなったそうです。海外の生き物を安直に持ってくるとどうなるかを示唆する事例です。ま、可愛くて連れて来た訳じゃないんだろーけどね。

ケムシ後、枚方まで順調に走行。信号の度に同じ自動車と抜きつ抜かれつ。嫌がられてたでしょうなあ4回も自転車に抜かれると。そのまま枚方市駅コンコースを押して通り抜け、淀川沿いの河川道路へ。こちらも快適な走行。風は緩やかな追風。周囲の林・草むらからオオヨシキリのギギ・ジェッジェという鳴き声がたくさん聞こえます。時折、鶯が割って入り賑やかな事。途中から京阪国道に上がりましたが、御幸橋近くの河川管理道路から京阪国道への合流道も遂に舗装され、次回からは国道を走らずに済みます。

御幸橋から今日は嵐山方面へ向かい、淀城跡に行ってみました。京阪淀駅のすぐ傍の城跡です。マップ上で緑色になっていたので休憩に丁度いいや と行ったのですが、淀駅近くは大量の警備員が赤旗もって交通誘導中。どうやら淀競馬場でレースでもあったみたいです。淀駅の方向から淀城跡に近づいてみるも、一帯は区画整備工事中で、フェンスやら臨時駐輪場で封鎖状態。何だか訳解らず、商店街を戻って旧京阪国道へ出てみました。実はこの道は、私が京都府民だった十数年間、運転免許更新で免許センター(淀にあるのです)に通った道でした。なっつかしー!ここに来てようやく地図と記憶が結ばれたって感じ。そして旧京阪国道を少し走ると淀城跡公園を発見。狭い入口ですが石垣が見えます。

入ってみると、うーん、イメージと全然違う。まさに「昔の光 今いずこ」。石垣と雑草。暗い木陰。雑然。中に小さな公園がありますが長居しようと思わせるものは何もありませんでした。栄枯は移る世の姿。ああ荒城の無念の跡よ。
と言うわけで荒城はさっさと後にして自転車道に戻り、流れ橋SAで休憩。その後も緩やかな追風に助けられ木津川自転車道は25~30km/hで巡航し戻って参りました。但し、自宅から2kmの所で、いつもと違う道を行こうと急坂を登ってみたら両脚の太腿の前部筋肉が攣り始め、宥め宥め登りましたけどね。本日走行74.5kmと出ていましたが、途中でサイコンが止まっていたので過少申告。太腿筋肉メーターの方が正直かも知れん。80km越えて無茶すると攣る とか。

さて、淀城って言うと「淀君(お茶々)」のお城みたいですが、別物だそうです。「淀君」の為の淀城もあったそうですが、今は姿形がなくお寺になっています。この辺りは京都と大阪(=西国各地)を結ぶ交通の要所だったので、いろんな歴史が隠されています。奈良と違って中世以降の話が多いので親しみ易くもあります。タカラヅカでもやったそうですよ、石田光成とお茶々の恋。

それこそ茶々が入りそうや。


バンビちゃんと違って全然可愛くない・・・
花の宴 も想像できません



2013年6月8日土曜日

ケムシ警報発令中

1週間ほど前、福岡の次女から「生駒でケムシ大量発生ってニュースやってた」と悪魔の伝言みたいな連絡がありました。

生駒と言えばウチの窓から見えてる。そう言えばご近所でも黒と黄色っぽい大きなケムシがやたらウジョウジョ歩いています。私も犬の散歩には欠かさずコックローチを携行し、見かけたら片っ端からやっつけてるのですが、生駒からの使者だったのか・・・。何でもマイマイガの幼虫で数年に一度大発生するとか。迷惑なやっちゃ。
てなことで、生駒方面には行きたくない私ですが、本日は車検完了のレガシィをやむを得ず生駒へ引取り。

1週間お世話になったBH型代車君を引き渡しましたが、店長曰く「10万km以上走ってるし、そろそろ退役」とのこと。久し振りのMOMO印ステアリングで「なかなかやるやん」と思っていましたが、戻ってきた愛車に乗ると「やっぱ差があるなあ」と実感。BP型は軽快ですわ。今回はダッシュボード奥から時々出るビビリ音対策もしてもらいました(持病みたいねBPの)。それと吹っ飛んでいたルーフキャリアバーのエンドキャップも部品箱から中古品を見つけてもらいサービスで付けてもらいました。親切! 
てなことで、お世話になっている奈良スバル生駒店はスバルディーラーコンテストで最優秀拠点(全国で1位)獲得!おめでとうございます。1年に2台も車検した私の貢献度もありますかしら。

BH型代車君の感想を綴っておきますと、「意外と良く利くブレーキ」「重いアクセル」「コーナリングランプ!」「ダッシュボードの造詣は腐海の植物」「スイッチ類の夜間照明がなく手探り」「シートがへたっていて身体が上を向く」「エンブレで2速に落として停車すると、そのまま発進してしまう」「SOHCなのにエンジン音はBPより深い」etc。ま、自己責任も経年劣化もありますけどね。
てなことで、状態の良いBE型B4があれば、次に戻っても良いかなと思ったりもしていましたが、10年以上落ちになるんでやっぱ考えものです。

帰宅後まだ時間があったので奈良公園までポタリング。ぶら下がるケムシに細心の注意を払いながら奈良自転車道の北半分を使って奈良公園へ。東大寺から二月堂へは古来からの階段なので、自転車担いで登りました。奈良公園ではバンビちゃんが誕生しており、そこここにちっこいのがウロウロしています。掛け値なしに可愛い。早くも「お辞儀の術」をマスターしていて、ドリンク飲んでると「ちょーだい!何でもちょーだい!」と寄ってきます。勿論あげません。めっ。

二月堂・手向山八幡宮から春日原生林を駆け下り、市街地を抜けて今度は奈良自転車道の南半分を走り大和郡山を回って、お散歩サイクリング終了。本日走行、たったの35km。バンビちゃんサイズです。

昨日来の大ニュース「八尾空港にオスプレイ誘致」。「簡単に写真が撮れそうな機種」なんで嬉しいですけど、いやあ八尾空港通の?私としては「スパイ・秘密工作員・オタク入り放題」の場所に見えるんで、実機配置してええんかいな。

ディスプレイ?


 Dealer of the year!
東大寺二月堂


BH型B-SPORTの代車君
ちょーーだい!! ってば!





2013年6月2日日曜日

結婚前奏曲

暴風圏が近づいてきて急にバタバタし始めました。

来月末、長女が結婚するので、にわかに準備が進み出しています。今までは、いろいろ手続き?しきたり?段取り?を経過しつつも、遠い所の台風みたいに実感が湧いていませんでしたが、そうも言っていられなくなってきました。それ故、天気予報では思わしくなかった週末に、「新居の各種計測」「家具の下見」が集中。2日間でレガシィは500km走っております。前奏曲なのにいきなりアレグロ。

新居は、尾張名古屋の南端、田んぼや畑も点在し、名古屋市内とはとても思えない長閑な所です。昨日、管理会社の兄ちゃん立会いの下で、長女の婚約者とともにメジャーを持ってゴソゴソあちこち測定。それ程広いわけではないので1時間で終了。その後、近所のコメダコーヒー(ここいらはホームグラウンドですな)で家具配置やら何やらを話込んで戻ってきたら夜でした。しかし、肝腎の所を測り忘れたり、なかなか上手くは参りません。

そして本日、図面を持って神戸のIKEAへ。若いのでIKEA位が丁度良いかと見に行ったのですが、結構草臥れました。一通り目当てを見終た後、騒々しい館内レストランを避けて、車で5分の神戸空港へ。なかなか離発着しない飛行機を見ながら休憩しました。
IKEAは基本、組立家具なので、アマゾンの倉庫みたいな所から自分でパーツ?をピックアップして、工場のようなレジで精算し、そのまま持って帰ります。しかしながら今回は1つ2つじゃない。ベッドのマットレスやらダイニングテーブル&チェアやら、流石のレガシィTWでも1回では積み切れません。宅配を頼むとすぐに配送されるので、少なくとも新居の受入準備が出来、誰かが受け取れるようにならないと頼めません。細かい事ですが、結構いろいろ難しいですね。多分来月にかけて、神戸・奈良・名古屋間の貨物輸送が増えそうです。前奏曲なのに早くもフォルテシモ。

それに備え?本日夕方我がレガシィは車検入り。代車でBH型レガシィTWがやって来ました。2.0のB-SPORT。1週間のお付き合いです。。前にBE型B4に乗っていたので久し振りのコックピット。スイッチ類が思い出せない。ドアミラー閉じるのにえらい時間掛かりました。走ってみると、やや重い印象。以前乗っていたB4はDOHCビル足モデルだったので多少印象は違いましょうし、実際BPより重量が重いので、それもあるかも。ついでにステアリングも重いです。でも速度に乗るとグイグイ行きますねえ。ルイガノTR-1みたい。それからウィンカーレバーに謎の調整スイッチが。B4はキセノンライトだったのですが、ハロゲンだと光量調整とかあるのかな。と言う事で、懐かしみながらいろいろ触っております。ただ、10万キロ以上走っている営業車なんで、タバコ?の臭いが染み付いてくっさいこと。早速100均で炭の消臭剤買ってきて座席下に入れました。

んな訳で2日間、自転車には触りもせず。新婦の父親と言うといろいろ周囲からからかわれて困ったものです。思いは次第に出てくるでしょうが、さすがに「ダ・カーポ:初めに戻る」は避けたいので、「ドルチェ:柔らかく」を心掛けている6月なのでした。


BH B-SPORTエンブレム
神戸はSKYMARK便ばかり