2014年1月25日土曜日

リハビリ走行 柿爆弾喰らう

ぎっくり腰は9割近く復旧。まだ腰に痛みは残っていますが胡坐もかけるしステッキなしで車から降りられます。どちらかと言うと左手首の捻挫の方が長引きそうな気配。で、本日1ヶ月ぶりに恐る恐るのリハビリ走行。

いつでもショートカットで引き返せるように奈良盆地の小回りコース。一旦北上しR168を龍田川沿いに南下、王寺町から東進し、富雄川沿いを北上して戻るコースのつもりでしたが、王寺町から大和川沿いを走り出したら、ふと沈下橋が眼に入り、これ渡って戻ろうと進路変更。橋を渡って大和川南側を走り出したのですが、道なりにカーブしたら近鉄・佐味田川駅に出てしまいました。初めての道なのでどこに行くやら判らんまま進んでゆくと、馬見丘陵に行く時に通る交差点に出食わし、まーここまで来たら竹取公園まで行くか とそのまま南進。竹取公園から東に向かって葛城自転車道に出て、いつものコースで帰宅しました。リハビリコースは走行51.5km。

距離的には適当で、腰も信号待ちの都度伸ばしていたので、そう負担なく走れた感じ。ただ左足の膝裏側がやたら痛いのは何だろか。本日は天気も穏やか、気温も高く、のんびり走っていたのでしばし寄り道。まず道の駅・平群でトイレ休憩。スポーツ自転車用のラックがあるので助かります。しかし道の駅には「非核宣言の町 平群町」のでっかい横断幕が正面に。まあ、非核宣言はいいんですが、別にここに掛けなくてもなあ、他にアピールすることあるでしょって気が・・・。そして葛城自転車道に入る直前には、前から気になっていた赤い鳥居を潜って櫛玉比女命神社に寄り道。何て読むんざんしょ と思っていましたが意外に普通。そのまま「くしたまひめのみことじんじゃ」でした。神社は古墳の上にあるそうですが、解説板読んでも何にも解らんかった。↓ 結局ここは何?

『延喜式にいう「廣瀬郡五座」のひとつで、いわゆる式内社の格を誇る。 その位置は、前方後円墳の後円部にあたり、埴輪片が出土する。古墳と神社が結びつく例として注目される。 祭神、櫛玉比女命は、櫛玉彦命に配されるが、「大日本史」では、饒速日命(にぎはやひのみこと)の妃である御炊屋姫を当社祭神としている。』

まあいい、古代史はミステリーだ、と出発しようとして「ゆきかぜ」をふと見ると、シートステーがオレンジ色。はや?とよく見るとリアブレーキ・シートステー・チェーンステーに一面べったり「熟した柿の破片」付着。どうやらリアに熟し柿が命中したようです。柿の木の下潜ったり、柿が散乱する場所を走った記憶はないんですけどねえ・・・。走行や塗装に影響はなさそうなので、ベロンと付着する皮をペッペッと取って、ブレーキが滑らないようリムチェックして走行再開。どこから来たか柿爆弾。奈良名物ですが、やっぱ、

自転車には柿厳禁。

そして夕方から、奈良の年中行事、若草山の山焼きを観に行きました。奈良公園に座って待っていると、18:15、ドドーンと花火が打ち上がり、15分間大輪咲きまくり。大勢の見物客もヤンヤヤンヤでした。そして18:30頃着火。火はあっという間に山肌を嘗め尽くし、山焼きと言うより山火事。稜線からコロナのように紅蓮の炎が立ち上がり巻き返します。このままマグマが流れ出しても不思議はありませんでした。草が乾燥して絶好の餌食だったのでしょうね。壮大な火絵巻物でした。奈良名物ですが、やっぱ冬は、

若草山には火気厳禁。

ついでに・・・心掛けよう腰痛安全。(いやほんまに大変ですわ)


大丈夫か?と心配になります
おおー紅蓮の炎が舞い上がる





2014年1月13日月曜日

日立の復活

ぎっくり腰の痛みはなかなか取れません。日頃から腹筋や背筋運動はジムでやっているつもりだったのにこのザマはなんだ と思う反面、それ故に起き上がれて歩けたので却って長引かせているとも思えます。

先週、日立製作所の川村隆会長のご講演を聞く機会がありました。新年のお付き合いの一環なので、ステッキを突きながらヨロヨロ出かけたのですが、流石に大日立を再生させた経営者だけあって面白いお話でした。確か、次期経団連会長の本命だったのを固辞されたんですよね。理系出身らしく朴訥な話しぶりでしたが、素直なお人柄が表れていて「いいなあ、あんなトップ」と思わせるものがありました。川村会長のお話でよく出てきたキーワードの一つは「最終責任と決断」です。それ以上後ろはいないということですね。これは私も最近になってひしひしと感じるようになりました。勿論、私はそういう立場にはありませんが、身近でそういう立場を見ると、その際の決断の仕方は、本当にトップの「人」が出ます。

川村会長が日立の社長を引き受けられた際に、会長を兼務されたそうです。これは会長・社長という2トップが異なる考えを(それも微妙に異なる)した時に、下が困るからと言うものでした。心の中で拍手しましたね。サラリーマンなら誰しも経験あると思いますが、本当に困ってしまいますよね。それだけでなくご自身で「最終決断」を背負い込む覚悟でもあったと見えました。
それから、報道でも大きく出ていましたが50代の新社長に譲る件について、「日立は常に改革を続けて行かねばならない。だけど一度改革をやった人間は次の改革はできない。何故なら前回の経験に引き摺られるから」とコメントされました。ですよね。人間、成功体験に引き摺られるものですが、これを自らが断ち切るのは難しいものです。凡人は経験を語り偉人は歴史を語ると言いますし。
小難しい経営理論ではなく、こういった素朴な「あるある」を丁寧に語れるのは「基本」を理解して一つ一つ実行されてきたからだなあと思いました。きっと日立さんは見事に蘇るでしょう。

帰り道、最寄駅まで10分のところ、ステッキついてゆっくり歩くと倍近くかかります。夕暮れの京都・岡崎公園、本来なら周囲を散策したかったのですが、3時間の講演を垂直の椅子でじっと聴いていただけで腰が悲鳴をあげていたので、無理せず帰ることにしました。新年早々とはいえ夕刻の電車は帰宅ラッシュです。電車内でもステッキ突いて立っていたら、途中駅で席が一つ空きました。前に立っていた人が座ろうとして私のステッキに気づき、ゼスチュアで譲ってくれました。大学生らしい白人のお嬢さんです。私は座ってしまうと立つのが大変なので、「立ってる方が楽なんで・・・」とお断りしたのですが、日本語が通じたがどうか怪しい感じでした。お嬢さんは怪訝そうに座りましたが、私にはもどかしさが残りました。あー英語でどう言えばいいのかな。

  I'm better with standing.Thank you.             with standingって何?
  No thank you. I'm standing, because good for my body.    長すぎ?
 Thank you. It's easy for me standing.           身体が楽ってのもeasy?
一瞬では出てこない。プアな英語力丸出しです。(添削してください)

この時、またしても川村会長のお話がフラッシュバックしました。日本は日本語で大学教育まで全て揃えられるが、そうじゃない国もたくさんあって、仕方なく教科書は英語版を買ってきて教え、高等教育は仕方なく英語で行ってきたが、今やそれが却って武器になっている という話です。うーむ、グローバル化って難しい。
で、ぼそっと仰いました。「英語は使うしかないですよ。i-phoneみたいなものなんで」
これも可笑しかった。PC等を熟知したアンドロイドユーザーがi-phone使うと混乱すること多いですよね。で、思うんです。これは生まれ育ちが違うToyだ。使って慣れるしかない。英語もね。

寝たきり2日間。ずっと寝てるのもしんどいので、こうやってネットブックで文章書いたり、皆様の自転車ブログ読んで溜息ついたり、2014ガノーバイクのカタログ見て唸ったりしています。
腰が壊れるのは一瞬ですが、元に戻るのは時間がかかる。企業の信用みたいなものです。

以上、新春卓上経済フォーラムでした。

本文とは関係ありません。
八尾空港のコーナンジェット
本文とは関係ありません。
関西空港のStarflyer。 なくなるそうで・・・




2014年1月8日水曜日

その名はぎっくり腰

いやあ大変です。先日座ってたら右腰に違和感があって、立とうとしても上手く立てない。これまでも腰痛は何回かありましたが、こんなに大変なの初めて。単に座っててちょっと腰を捻っただけなのに。

どうやらこれが「ぎっくり腰」。歯の治療で神経をグリグリされた時の痛みの巨大バージョンが、何かの形になった時、腰にガーンと来ます。立つ事不可。痛みで息が詰まりどうしていいんだか呆然とします。調べてみると3日間は安静。つまり動いてはいけないとありますが、サラリーマンはそうは行きません。私の職業上の立場は、例えて言えば砦を抱える小藩の筆頭家老みたいなものなので、親会社,金融機関,法人株主等に新年の挨拶回りがmust。3日間ですが、これは辛かった。

歩くのは比較的マシです。右足を庇うので少しびっこを引いて、遅いですが歩けます。階段の上り下りも何とかOK。曲者は椅子から立ち上がる時。特に電車の椅子など低めの場合、立ち上がろうと力入れただけで強烈なグリグリが腰に響きます。でも電車ですからノロノロしてたらドアが閉まるので、半ばヤケクソでフラフラ立ち上がりヨロヨロ歩きます。某社に行った時なんぞ、気合で椅子から立ち上がったら今度は急に立ち眩みがして倒れるかと思いましたよ。

そして車のシートも一旦身体を真横に向けてシートを手摺にして起き上がる。靴下やパンツ履くのも、端から見れば「何の手品が始まる?」の様な格好。も一つ悪い事に昨年末に捻挫した左手首はまだ完治していないので、左手で身体を支える事は困難。うーーむ。こんなになるとは思わなんだ。

と言う訳でフェイタス・ズッドーンを毎日貼って、密かに折り畳みステッキを携行して、顔には出さず歯を食いしばる日々です。安静で3日程度で痛みが引くと言いますから、こんな調子では1週間はかかりそう。今度の3連休に初ライドのつもりでしたが当面無理っぽい。ジムにすら行けません。そして、こんな時に巡ってくる人間ドック。斑尾タングラムで引いたお御籤は「中吉」でまずまずだったのになあ。

と言う訳で新年早々頭の痛い、いや腰の痛い日々なのでした。どーなる2014年。


今年はこのような輝かしい空なのか
それともやっぱりこんな空?



2014年1月6日月曜日

今シーズン初スキー

お正月休みを利用してスキーに出掛けてました。斑尾高原のタングラムスキーサーカスです。

タングラムは9年ぶり。しかも、いつも3月の春スキーだったので冬は初めてです。2泊3日でしたが実質滑ったのは中1日。初日は着いたらもう15時。荷物降ろしてチェックインしてetcで、ゲレンデに出た瞬間に目の前で山頂行きのクワッドリフトは営業を終了しました。仕方ないのでナイターのあるセンターゲレンデをピストンスキー。2日目は吹雪とフォグの中を山頂まで十数往復はしました。何しろリフトも大して待たない。じっとしてたら寒くてたまらん。かと言って滑っていても寒いんですけどね。

ただフォグと地吹雪と老眼で地面が見えにくいのは辛かった。1月の雪なんで比較的コンディションは良いのですが、それでも凸なのか凹なのか良く判らんまま突っ込んで怖い思いもしておりました。
タングラムは典型的な家族スキー向けスキー場で、宿泊者の殆どは小さい子供連れの家族またはジジババ同伴3世代グループでした。小さい頃からやるのは良い事ですね。私は30歳からの自己流なので未だに典型的中級者を出る事が出来ません。それに他所でも思いますが、小さい子がヘルメットしてクルクル滑っているのは本当に可愛い。(それに結構上手いし)
全てのゲレンデはボードも滑走可なので、至る所でボード坐り?が見られます。普通なら「邪魔な」と思うところが小さい子が同様に座ってると「座ってても(転んでも)可愛いなあ」と勝手なものです。
ゲレンデ規模は中くらい。行き易さも中くらい。隣の斑尾高原スキー場と乗り入れ可能ですが、一度カミさんが迷い込んで戻るのに苦労しました。パスや場所に制限があるので要注意です。首都圏からですと3時間強で来れると思いますが、近畿圏からでは片道500kmを超えるので、数時間はかかります。しかし道路状態は良く(殆どが高速)最後のアプローチも緩い勾配で道幅もあるため何とかなります。

帰路は雪がチラホラするものの空は明るくきっと良い天気に・・・と思ったのですが、まず駐車場の車は雪だるま。除雪に30分かかりました。出発後も、上信越道の妙高高原ICに入る辺りから雪が本気になり始め、途中は小粒の霰が吹きつけなかなかの迫力。チェーン規制中にもかかわらず見えていた路面もあっという間に白くなり、車の電装品を総動員して曇・氷除去して走っておりました。こう言うときは頼りになりますレガシィは。

道路といえば、斑尾へは私は北陸道から上信越道を使って走ります。距離的には中央道経由の方が短いのですが、中央道はUP/DOWNが多いのと、渋滞がありそうなので避けました。北陸道も金沢までは度々走りますが、上越までは久し振り。富山過ぎると近畿ナンバーは数少なくなり、金沢・富山・長岡等の地元ナンバーに混じって、仙台・宮城・福島ナンバーを多数見ました。混雑する首都圏を回避して東北に行くのでしょうか。名立谷浜SAで休憩したとき、前の列に並んだナンバーは、つくば・横浜・仙台・宮城・福島・千葉でした。高速ってこう言う所が楽しいですね。

1日強のスキーでは足も平気・・・と思いっきゃ、24hr経って脹脛と足首がズキズキ。齢のせいで遅れてくる筋肉痛か?でも24hrならまだ若いんじゃない? と思っていた所、先程から急に腰痛。48hr後か・・・やっぱ加齢性?。

新しい齢(年)は確実にカウントアップしたようです。本年もよろしくお願いします。

幻想的なゲレンデ
束の間の太陽に謎の飛翔体が!




その間、車はこんなことに!
ナイターはX'masカードのよう