2016年1月31日日曜日

お猿に注意

信楽の入口、滋賀県甲賀市朝宮まで往復。朝宮と言うところは朝宮茶の生産地。朝宮茶って日本五大銘茶の一つだそうで、全然知らなんだ。飲んだ事もないけど。

お約束の?県境記念撮影 
川から河童でも飛び出すのか?不思議な立ち位置の飛び出し坊や
朝宮へは定番コースの府道5号線で和束から信楽に抜け、R307の少し手前を左折、朝宮GCの前の山道を上って下れば到着。有名な蕎麦屋さんがあるそうで、店名も知らないまま走ってると駐車場が溢れんばかりの古そうな建物発見。手打ちそば処の看板があるし、きっとここやなと思いましたが、駐車場の待ち人見て入る気消失。次いで目に入ったのが天下一品(天一)の看板。近畿では有名なラーメン店ですが、長閑で細々とした農村には余りに場違い。冬枯れの畑の道を少し入ってみると狭い路地横の古民家に天一の看板が見えました。どう見ても農村の旧家。「たんちょう」を駐車場に停めて、門構えを入ってみると右の建物に「パンケーキ」のメニューが出ています。別の店かな と大きな木製2枚扉を開けてみると中はクラシックなカフェ。この時点での第一目的=トイレ が切羽詰まっていたので入る事にしました。

これがカフェなんです。左は天一
とてもいい感じです。建物は製茶工場だったそうな。道理で天井が高くロフトのような2階席も見えました。アップライトピアノもあってライブもできそう。コーヒーカップも流石の信楽、上品な焼き物で(それ以上判らん)大変気に入ったのですが肝腎の店名が今もって解りません。自分では天二と呼ぶ事にしました。

天二からR307を折り返します。途中、宇多村牧場がありました。わお、ソフトクリーム!と思ったのですが、「関係者以外立入禁止」の看板が。帰宅後調べたら、競走馬の飼育牧場でした。そのまま府道5号を戻ります。復路は下り坂中心ですが、西風が向風になりフラットに近いと漕がないと進みません。靴下ホカロン貼り忘れたせいで通気性の良いスニーカーは足先冷たい。そんな中、湯舟バイパスの脇で、いつものおばあちゃんが草餅を売っていました。売り物の関係でしょうか、陽が射さない山陰で一人ポツンと座っています。挨拶だけして通り過ぎましたが、さぞや寒かろうと思います。大丈夫なんだろーか。

ソフトクリームはありません 宇多村牧場入口
五ノ瀬付近では、冬の午後の陽射しが杉木立をスリットにして路面がだんだら模様。階段を踏みしめるように走りました。そして「もののけの森」に寄道。苔に覆われた大岩はモアイの様に泰然として、渓流の音を聞き流していました。木々を通して降る光は平地よりセピア色、そしてモアイの見る向きは一定で四季の移ろいしか変化がありませんが、喜びや憂いの涙を流すのに十分なスクリーンでありました。

モアイ大岩さん
大岩さんの喋り友達 コタキさん
和束町ダウンタウンを経てR163に向けて下ります。基本、川と山に挟まれた道路なので左もギリギリ、路面のヒビや陥没、背後からの車に注意しながら30km/h程度で下っていると、前方道路端に茶色い塊発見。お猿!奴らは柿か蜜柑らしきを頬張りながら、私が真横を通過すると「うおッ アブねー」と飛びずさり間一髪接触回避。壁面のブロックにもお猿たちが掴まってキーキー「こらー危ねーだろー、もっと真ん中走れーよー」とか叫んでました。本日走行87.3km。

府道5号を下る皆さん、お猿に注意です。私は2回連続で遭遇しておりまサル。⊂((・⊥・))⊃

2016年1月24日日曜日

奈良鹿入門

全国的に最強の寒波襲来。奈良市は朝から晴天。しかし、寒風強しで出走諦めました。だって昼間でも外気温1℃、只今-3.5℃。

さて、今年の奈良・若草山 山焼きは昨日、不調に終わりました。
山焼きに先立って始まった花火は大輪が夜空を彩りましたが、地上にも傘の輪がたくさん。次いで山裾から点火、炎は高く渦巻きオレンジの帯が・・・ 拡がりません。雨で燻っているのか白煙が風にたなびき、何時まで経っても同じところがボーボーしてる。冷たい雨がポツポツと水を差し、30分後には立ち去る人大勢。報道では2割程度しか焼けなかったそうで、残りは後日焼きなおすそうです。せめて雪なら違った風情があったんでしょうけどねえ。残念。

若草山 山焼き2016 やたら煙が目立ちます
 この日は山焼きの前から春日大社の「大とんど」などの行事があったためか、冬の奈良にしては観光客たくさん。それもインバウンドたくさん。みなさん鹿と戯れ、煎餅をせがまれ、一緒にスマホの写真に納まる。I-PHONEは世界の共通プロトコルになりつつあります。飛び交う言葉も日本語は稀有、関西弁なんて殆ど聞こえず。ま、この寒さ、地元民は家でじっとしてるか、イオン行ってるわな。

春日大社の大とんど 燃やすお札のドライブスルー受付もあります
 なので少し前から奈良公園内には「鹿」の注意板が、イラストと英中韓語で書かれています。曰く、

○鹿は野生生物である  飼鹿でもペットでもなくwildだぜい。 
○鹿は噛む Bite!  8bitのバイト(byte)ではありません。
           ついでにアルバイト(arbeit)は英語じゃなくドイツ語です。
○鹿は叩く Kick!  前足だけでなく後足のキックにはマジでご注意。強烈なので鹿の背後には
           回らない方が良いです。
○鹿は突く Butt!  雄の角は武器ですからな。でも秋には切られるので今はすっぴんです。
           因みにトナカイは雌にも角がありますよ。
○鹿は突進する KnockDown! まともに当たると勝ち目はありません。
           時速60kmで走れるウシの仲間なんです。
「鹿」注意の看板 イラストも可愛い
 普段はつぶらな瞳で草やら紙やらをもぐもぐしていますが、それに道路を渡る時もちゃんと車の流れ見て渡っていますが、肉弾戦では人間の敵ではないと思召せ。そもそも神の使いですからね。お辞儀されてもお辞儀を返すくらい丁重に相手して下さい。

鹿の主食は奈良公園の芝です。鹿せんべいではありません。シカし、鹿せんべい、食べてみたい人いるでしょうね。普通は買うと同時に鹿たちが寄ってきて「ちょーだい、ちょーだい」になるので、なかなか自分で食べるタイミングは難しいのです。ま、やめときなはれ。美味しいものではありません。ワタシ的には「障子紙」みたいな味でした。

なお、神の使いなのでお願い事をしてみましょう。大抵「わかった・わかった」とウンウンしてくれます。そして 「で、センベイは?」と見つめられます。お賽銭代わりに是非お求め下さい。

左は北海道・トマムの牛さん 右が奈良の鹿さん(お神籤入り 怖くて見れないよ)
以上、神の使いの使いからのご神託、シカとよろしく願います。

2016年1月17日日曜日

天下分け目をポタリング

本日再び枚方へ。

枚方市駅から高架下を枚方公園駅へ走り、枚方大橋を渡って淀川北岸を北上します。門型自転車ゲートが多数設置された道路は自転車専用ではないので、広い路上ではブレイブボードの練習から凧揚げまで、それぞれが冬の晴れ間を楽しんでいました。島本町に入る辺りからはスイスイ走れると思うともう山崎。R171・新幹線・阪急線を潜ってJR山崎駅へ。今日は更にJR線の北側へ。しかし駅近くの踏切がなかなか開きません。関空特急が来て、長い貨物列車が来て、新快速が来て、普通の電車が2本来て、5分以上待っていました。踏切の反対側では電車に乗ろうとする人たちが待っています。イライラが線路を越えて来ます。ようやく踏切が開いて、渡り終えた直後に皆さん目当ての上り列車が接近。間に合ったんだろーか。
淀川河川敷にて(高槻市)
北側はポタリングにしかならない細い道。周囲は上品な住宅地で、少し先に天王山登山口。天下分け目の天王山は高い山ではないものの、対岸の男山との間は淀川があるので陸路はボトルネック。古来、こう言った地形で数々の戦のドラマが繰り広げられました。登山口には山崎聖天の看板?もあったので少し登ることに。急な石段の上に立派な山門が覗いています。自転車を押し歩いて山門脇まで迂回して駐輪し、仁王様に両睨みされながら山門を潜ってみました。目の前には立派な石垣。城址かと見紛うばかりです。更に急な石段を登ると、そこが山崎聖天・観音寺でした。
様々な看板?が並ぶ天王山入口
桔梗の御紋が染められた暖簾が翻りますが、天下分け目の戦いの主人公・明智家とは関係なく、大阪商人に厚く信仰されたとか。でもねえ、淀川・男山を見渡せるロケーションなんで城(監視所)があっても不思議はないです。参拝者も多く、境内では写経教室?も実施中でした。石段を恐々降りてまたポタリング。登山口付近の竹林を過ぎると真新しそうな住宅地、看板に「早稲田」とあります。どの都の西北なんだか。でもこの近所の地名を地図で拾い読みすると面白いんですよ。白味才・開キ・仏生田・川向井・川向イ・傍示木・百々 など。さっぱり解けないクロスワードみたい。
観音寺 山門(南門)

この石垣はお城でしょ

男山が向こうに見えます。新幹線も見えるかな。
 山裾の道が行き着いたのは鳥居前交差点。鳥居は見当たりませんが竹林を北風が大きく揺らしています。空は一面に重そうな灰色の雲。坂を下ると阪急の最新駅「西山天王山」。ここは上空を通る京都縦貫道の高速バス停留所と直結された駅なんですね。高速道路を走る時に所々で見かけるバス停留所。ここで降りてどうするんだろうと疑問でしたが、こう言う方法もあるんですね。

お馴染み 勝竜寺公園
すぐに調子八角交差点に出て旧西国街道を走り長岡京へ。折角来たので勝竜寺まで走ってから木津川CRに出ました。途中、流れ橋PAの四季彩館で休憩したら、四季彩館の裏(本当はこっちが表なんだけど)の駐輪場にもスポーツ自転車ラックが設置されているではありませんか。曰く、コストコ近くのショップ・ナチュラル寄贈とか。あざーっすナチュラルさん、早速使いましたよ。コストコとは欽明台のコストコかな。あまりロードを見ない裏口に(本当はこっちが表なんよ)いつも一人だけ停めてたんだけど、これで停め甲斐ができました。

四季彩館 裏(ホントは表)駐輪場に設置されたラック Thanks!
本日の木津川CRは基本追風。先週、追風で調子に乗って35kmオーバーで走って最後にへばり気味だったので、今日は30km未満に抑えて走行。先週も書いたけど、舗装のひび割れ(地割れ)は結構長々とあちこちに伸びてる気がします。土手の工事の影響?そしてその土手にはカラスの大群が日向ぼっこ。数え切れない数で、近づいても寝ぼけまなこでこっち見て「ふにゃ?何か用?」程度の反応。捕まえたりしませんけど危機感ゼロでした。本日走行77.7km。

CRの最後の車道で、対向車が来た時、駐車車両があったのでその後ろに停止しやり過ごそうとしたら、対向車が親切に停止してくれました。自転車如きに何と奇特なと大きく手を挙げてお礼して走った私をパトカーが追い抜いてゆきました。なんや、そう言う事かいと一人赤面。パトカーに忍び寄られているのに全く気付かなかった私も危機感ゼロでした。

♪カラスと一緒に御用でしょ♪

2016年1月11日月曜日

初ライドは三社巡り

昨日、2016年初ライド。いつもの枚方周回コースに三社詣をプラス。

一社目はR168脇の磐船神社。いつもは通り過ぎるだけですが停車。ただ、朝早くて営業時間外?みたいだったので外から心で拝んでおきました。付近はモーターバイクの集合場所らしく、東屋脇にはグリーンのバイクが勢揃い。古代はUFOが集まり、今はバイクが集まります。交野の文字通りのDNA?

磐船神社 背後がご神体の天の磐船
交野市では中学校のグラウンドに消防車が勢揃いし出初式。一斉にパトパトすると圧巻ですねえ。枚方から淀川沿いは追風で35kmオーバーで快走。御幸橋でCR降りて二社目の飛行神社へ。次女の在職中の御礼とよろず安全祈願。いつもはひっそりしている飛行神社にも参拝の列が出来ていました。半ドアで飛ばないように…とかお願いした人、いるかな?

飛行神社 見事に和洋折衷です
次いで石清水八幡宮に行ってみたら駐車場待ちの車で東高野街道がいっぱい。ここは本来の三社詣の一つなのですが、パスして流れ橋PAから木津川CRへ。なんか、CRの路面のひび割れと段差が増している気がします。東京の地鳴りと言い、阪神大震災から21年目を間もなく迎える今日、大地の動きに一抹の不安を覚えるんですね。その一方で新名神の工事は進み、木津川架橋はもうすぐドッキングしそうでした。

山城大橋からR307に入って南山城ポタリングコース(府道70)を南下。三社目はJR棚倉駅の反対側にある涌出宮(和伎神社)。本名は和伎坐天乃夫岐売神社(わきにいますあめのふきめのかみのやしろ)。長っ。創建766年の神話の世界からやって来たお社です。いごもり祭という祭が文化財指定されています。これは木津川対岸の祝園神社でも行われていて、「祭」の楽し気な雰囲気とは一味違う神事です(TVで見ただけですが)。木津川沿岸は古代の戦場なので鎮魂の意味もあるんでしょう。何でも崇神天皇10年に孝元天皇の皇子である武埴安彦命が崇神天皇に反乱を起こし大和に攻め入ったが、事前に倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと:ヒミコ伝説渦中の人)の予言により察せられ破れて近辺で斬首されたそうです。崇神天皇は学術上実存の可能性が認められた天皇だそうですが、紀元前の話なんで、スターウォーズ・帝国の逆襲の方がよっぽど身近に感じますわ。

JR棚倉駅の西側は駅前広場になってて、何故か十二支の石像が輪になっています。日時計かな?そしてこの駅(線)には私も学生時代に乗っていた山手線の緑色の電車が走ってるのですよ。新宿~渋谷の超混雑区間を利用していたので、圧力でガラスが割れないかひやひやしたものです。あの頃、総武線はまだ冷房無いのがあったんだよねー、なっつかしー。

で、駅を潜って東側の目の前に涌出宮。一の鳥居を見上げていると中学生位の女の子が出てきました。彼女は鳥居の外でくるりと来た方に向かうと、参道に一礼。地元のお嬢さんと見受けましたが、こう言う躾?が行き届いているんだ、私達の世代より遥かにしっかりしてるなあと少し嬉しくほっとしました。
涌出宮 一の鳥居
参道がカーブした所に朱色の二の鳥居。更に奥に山門があり、拝殿に続きます。拝殿の後に古めかしい小さな本殿がありました。屋根のカーブが古代を感じます。山門脇には神馬の像。女神様が祀られていて、元々は雨乞いの神様のようです。社殿には今年の「いごもり祭」のスケジュールが貼られていました。その準備なのか軽トラックが出入りする中、参拝し引き返します。境内の外は新しい住宅地。二千年以上を越えて現代に戻った感がありました。

涌出宮 二の鳥居 参道の奥が社殿
涌出宮 拝殿と本殿 屋根が埴輪にありそう
府道70を出てから最後の10km程度は西風向風。淀川で稼いだ貯金を全て吐き出す20km走行でヨロヨロ帰宅。昨日走行68.7km。「たんちょう」もあと10kmでODO 5000kmです。

さて、三社目の涌出宮で、二の鳥居を潜って参道を歩いていたら、コツン 『いてっ』、頭にドングリ命中。トトロのような光景が実際にあるなんて!それとも社の森の大木にはトトロが住んでるのか?見上げても木々の枝葉が揺れるばかり。風が強かったのか、トトロが飛んだ後だったのか、山城の小さな社森には不思議な時間と空間が残っておりました。

この時節、ドングリはきっとトトロの落としダマ。

2016年1月9日土曜日

TR-1 復帰整備

次女とともにクロスバイクTR-1「すずらん号」が福岡から戻ってきました。今度は長女の婿殿が乗ってくれるそうで、半日かけて整備。

婿殿は、かつてSpecializedのクロスバイクSIRRUSに乗っていましたが、盗難にあってしまい今は原チャです。長女の移動手段は基本、子乗せ自転車なので一緒に走りにくく、TR-1なら丁度良いですと。

と言っても6年前のモデル。福岡では半屋外駐輪場で、流石に荒れています。錆も目立ち、タイヤはヒビだらけ、バーエンド付だったエルゴングリップはバーエンド部分が何者かに持ち去られたそうで、満身創痍って感じで戻ってきました。今後も似たような環境での使用になるので、あまり手を掛けず、と言っても小奇麗にして渡すつもりで1万円位での整備としました。これまでは次女の使い方を考えて、シティコミュータ機として前カゴ・泥除け装備でしたので、これらを取り外し本来の姿にしてからパーツ交換。

まずはブレーキシュー。溝が殆どなくなりかけているのでシマノVブレーキ用としてM704Tに交換。外して付けるだけ。但しシューが新品なので若干当たり調節を行います。次いでスタンド。TR-1にはデフォルトでルイガノ純正スタンドがついていますが、金属部分が錆だらけ。また若干長くて、立てると不安定。フォークがサス付きで前輪が重いのですね。なのですぐにハンドルが回ってしまい「おっと…」が良くありました。ロードではスタンド買うことないので何となく評判の良いGIZAのサイドスタンドを購入。色がホワイトなのでTR-1によく合います。チェーンステーとシートステーにネジ留め。足の長さが調節できるので良かったです。

次にサドル。いつの間にか大穴が開いています。駐輪中に何かで抉られたそうで痛々しい。デフォルトの純正サドルを取っておいていたのでこれに戻しました。但しシートポストは純正のサス付きでなく、日東のアルミを継続使用。そしてタイヤ交換。Vittoriaのザフィーロ28Cを履いていたのですが、ヒビ割が不気味なので同じものに前後とも交換。本来はチューブも一緒に交換するつもりで、シュワルベのチューブを買っていたのですが、作業時にNG発覚。英式バルブやった…。購入したのは仏式バルブ。いつもこれなので何も考えずポチッとやってしまった。生憎、英式バルブのストックはなく3年前のチューブを続投させます。タイヤ外す時はチューブがべっちゃっとくっついていますから、めっちゃ慎重。久し振りにVittoriaタイヤを嵌めましたが、ビートが嵌りにくい事。こっちを嵌めるとさっき嵌めた所がピョンと外れ、まるで言う事聞かない保育園児を寝かしつけているようでした。イタリアっぽいなあ。

タイヤを外している間にフレーム下部及びチェーンとスプロケをディグリーザでせっせと磨きます。でもそろそろ限界かな。婿殿にはチェーン&スプロケ交換を勧めよう。予定の交換作業は以上で終了、各部をディグリーザとクリーナで磨いて近所を数キロ試運転。ロードに較べ重量感ありますが、そのお蔭で段差も何なく越えてゆきます。古びたチェーンだけど注油して若干軽快に。ま、こんなものかな。パーツ代は使わなかったチューブ入れて10,244円。所要約5時間でした。

軽やかに戻ったTR-1すずらん号

新しい あんよ です
本来はワイヤ類も交換したい所。更にグリップ替えてエンドバーつけて、ブレーキ本体も替えて、次も普段使いなのでリアの泥除け位あってもとキリがありません。ま、これが楽しいのだけど、本体価格5万円のバイクがえらい事になりまする。

各所の傷や錆は取れませんが、使い込んだ感が出て宜しい。盗難保険になるかな。ロードバイクをわざと汚した感じにして盗難防止にしてるって話も聞いた事あるからね。

平凡なクロスバイクですが、次々に新機種が出るルイガノラインナップからTR-1は消えませんねえ。隠れた名車と思っています。定期的に褒めると長持ちするって、西野カナちゃんも歌ってましたっけ。

こんなTR-1ですが、少し古くなって目移りする時は、初めて走って軽快さに驚いた日を思い出す事にします。♪

トリセツ は何にでも当てはまります。カナちゃん凄い。

2016年1月3日日曜日

北九州で年越し

皆さま、明けましておめでとうございます。
本年もメイプルリーフ・ペダリングを宜しくお願い致します。

さて、私は、昨年末で結婚のため退職した次女を迎えに北九州で年越ししていました。年末ギリギリまで勤務だったので大晦日に行って元旦に帰るという強行スケジュール。

宿泊は福岡市内が一杯で取れなかったので、北九州・小倉のRRホテル。浪速の名門です。なので、一旦、博多に行ってから北九州まで引き返すのが初日のミッション。慣れない街なので、明るいうちに着きたく出発は午前4時過ぎ。流石にこの時間帯では渋滞しません。が、なかなか夜が明けず、結局、山陽道の福山SAまで走ってようやく明るくなりました。

山口で中国道に入り、気圧の谷の雨に遭ったものの心配した混雑もなく九州道の古賀SAに13時着。ここで昼食と給油。福岡ICから都市高速で博多へ入り次女と荷物をPICK-UPした後、九州道を取って返し、思い出の八幡ICから北九州都市高速で小倉へ。都市高速と言う割には自然の中を走って近代的な小倉駅前に14時過ぎ到着。720km余に10時間かかりました。

名物 焼きラーメン
北九州市は福岡市とは何かと一線を引いているそうで、他県民にはよく解りません。言葉やラーメンも違うんだって。尤も福岡市と北九州市の間は山地なので、交流はなかったんでしょうね。夕方外に出てみれば、小倉駅前には懐かしいキャプテン・ハーロックと銀河鉄道999のメーテル&哲郎。松本零士氏の出身地かと思いっきゃ、北九州市立のマンガ博物館が駅前にあって、その拍子で?出来た像だって。駅の真ん中からはモノレールが発進。その脇には小倉城。あのガラシャ夫人・お珠さんの旦那である細川忠興の築城です。と言うなかなかバラエティに富んだ街です北九州は。部屋に配布された元日の西日本新聞トップ記事は「北九州市がこども食堂開設!」でした。

小倉駅付近
元日はホテル朝食も「おせち御膳」。和服のお嬢さんが「おめでとうございます」と恭しく運んでくれました。ホテル出発は9:30。事前にStreet Viewで調べた経路で北九州都市高速の足立ICへ向かいます。浅香通から歩道橋のある交差点で小文字通に左折 と覚えて行ったのに歩道橋が見当たらん。浅香通が終わって結局6の字描く感じで走って足立ICへin。後で調べたら11月に歩道橋は撤去されたそうです。StreetViewを鵜呑みにするって危険ですわ。

RR小倉のおせち朝食
門司から九州道に入り中国道・山陽道と段々交通量が増えます。福山SAで昼食と思いましたが大混雑で諦め、次の吉備SAで休憩&給油。神戸JCT手前から渋滞が始まり宝塚TNまで十数キロダラダラ。元日は渋滞レスと思ったけど、この日並びでは仕方ないか。この付近は万年渋滞場所で、場合によっては舞鶴若狭道&京都縦貫道経由で大山崎に入った方が早いと聞いた事もあります。急がば回れにも程があるけど有り得る。以降は吹田手前で若干混んだ位で19時に帰宅。往復で1300kmでした。

まだガラガラでした 山陽自動車道 岩国付近
さすがは年末年始の高速道路です。函館ナンバーから沖縄ナンバーまで遭遇しました。この時刻にこのナンバーがここ走ってるって事は、いつ出たの?とか何時に着くの?とか他人事ながら気になります。そう言や往路の中国道・美祢付近のカーブでプリウスが1台転覆してました。まだ警察も未着で3台位の事故。発煙筒が焚かれていたので皆さん徐行し通過、その後に下関方面から血相変えた?パトカーが数台すっ飛んで行きました。乗員は無事のようでしたが、あの後どーしたんだろ。事故車の人達がどこまで行くのか知らないけど、あの場所でレンタカーも厳しいし、そもそも大晦日だし大丈夫だったのだろーか。この付近は事故の名所ですし、そもそも山陽道も事故が多いと聞きます。工学的手段で何とかならんのだろーか。

因みに、車線変更禁止区間で、山陽道は追越車線が数珠繋ぎになりますが九州道は走行車線が数珠繋ぎ。ついでに九州道でいつも思う妙なIC名”若宮”。古賀SAの東の宮若市にあります。なので看板には「若宮宮若」。回文か?

回文? 怪文?
このように真面目で茶目っ気のある九州、また行くぜい。
サル年なのに、去るには惜しい年越しでした。