2020年12月26日土曜日

走り納めはキメツ話題の神社へ

 キメツの聖地として話題、と書いてあったので御所の笛吹神社へツーリング。今年の走り納めです。

森の中の神社です

私はキメツにはトンと興味が湧かず見た事もない訳で、なんで聖地なのか判りませんでしたが、神社の名前が二つあって、本名?は葛木坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ)で、火雷がキメツと関係するとか。私自身は「笛吹」の名前から管楽器の御守りとかあったらいいな♪的に思っていました。

場所は御所市中心部から葛城山の方へ少し上った付近。金剛葛城CRと葛城川沿いの道で葛城公園へ。そこから西進し殆どシャッター通りと化した新地商店街を抜け、県道をまっすぐ。県道30を渡って山麓をゆるゆるぐにゃぐにゃと走ってゆきます。意外と新しい住宅が多くてびっくり。10分強位で駐車場に到着。密!は困るなと思いっきゃガラガラ。今日目にしたのは数組、それも「いざキメツ聖地!」って感じじゃなかった。

主祭神が掲示されています

鳥居を潜って、手水に置いてあるアルコール薬で消毒し石段上ると目の前には「大砲」。笛と形は似てなくもないけど余りのミスマッチと思って解説読むと日露戦争の戦利品のようで政府から奉納されたとか。それにしても…って気がします。更に石段上って拝殿へ。キメツらしさも、音楽的要素も皆無です。普通に参拝しました。

ロシアのカノン砲です

ここが拝殿

御守り一覧にも「音守」なる音符を描いたものはありましたが、フルート型やらトランペット型は見当たらず…でした。ついでにキメツっぽいのも皆無です。ちょっと拍子抜け。まあ商品じゃない授かりものですからね。聖地商売を期待するほうが間違いです。

こんな彩もありました

ここが笛・音楽の神様と言われるのは主祭神に「火雷大神」とともに「天香山命」が挙げられているからです。「天香山命」が音楽の神と言うのは調べてもなかなか出てこないのですが、名前からして美しく、音楽を奏でて人々を癒すって感じがします(私は)。ギリシア神話のMuseの日本版?

眺望抜群 畝傍山がもっこり

帰路は県30の山麓線をひたすら北進。山麓と言うだけあってupdownを繰り返し、かつ向風強風。ちっとも進んでいる感覚ありませんでした。R165BPに入っても同じで、穴虫までBPを走ったのでそこそこ足に来ました。穴虫からは香芝市に降りて、広陵町の竹取公園経由で斑鳩町に出て、富雄川沿いを帰ってきました。本日走行75.4km。

今日は冬ジャージにネックウォーマ、イヤーマッフル、シューズカバーと完全冬装備。ま、ちょっと暑かったけど。

今年は4,5月に走行自粛したのを始め、しまなみにも行かず、ビワイチもせずと年間走行は2783kmとロードに乗り出してからのダントツ最低記録でした。病院勤務の方の苦労を考えれば文句は言えませんが。

帰宅したら秋からオーダーしていたウェイブワンのウィンドブレーカーが届いていました。これイタジャージなんですが、解らんでしょ。若干色目が女子っぽいけど基本は真っ黒だし、背中にちょこっと「三色団子」があるものの(黄色←)知らないとこんなとこに団子が描いてあると思わんでしょ?


来年はこの三色団子を背負って走ります。

コロナ禍の一日も早い終息を願いまして今年はこれで筆を置きます。今年もご覧下さいまして有難うございました。

どちら様も良いお年をお迎え下さいませ。

2020年12月13日日曜日

機関車ジェームズが疾走した大仏鉄道

 先週、再度シートポストを交換し、試運転を兼ねて加茂へポタリング。

二本締めに変更しました。タイオガの”Scepter Carbon SeatPost” 公称180g。見た目は非常に地味ながらガッチリしたレールマウント部分が安心感。走り出して数十メートルで「あ、これで大丈夫」と感じました。結構荒れた舗装路を走ったけど緩むことなく走れました。シートポスト&サドル問題もやっと一段落。

コースはいつも通りに府道で加茂まで出ましたが、そこから西へ進み集落の中の走ったことない道へ。山際なので西風除けられるかなと安直な考え。一応MAPで確認すると木津駅東方の新しい住宅地に出られる筈。のんびりした道です。軽トラ1台がようやく通れるくらいの所もありました。お決まりのように小さなお寺があって、冬支度をしている農家のばあちゃんに出会ったり。

梶が谷隧道

集落を過ぎ、木々の隙間からJR線路を見降ろす地点を過ぎ、ハイキングらしき中学生?のグループを追い抜くとすぐに目の前が開け広大な住宅地が現れます。URが開発した城山台ですね。つーっと走り抜けようとしましたが目の前にオッサンのママチャリが現れ徐行。ん?左手に不自然な舗装路とともに看板が見えました。気になったのでくるりと戻って見てみると『梶が谷隧道←120m』。サブタイトルに『大仏鉄道遺構めぐり』とあります。

おお!大仏鉄道。地元のローカルニュースで聞いた事あります。昔の鉄道で加茂から奈良まで走ってたって。何故そんな不採算そうな路線作るかなと疑問でした。120mならいいやと矢印の方向へ坂を下ります。すぐに右折×2で元の道をくぐる形のレンガのアーチが見えました。私、大仏鉄道のトンネル跡と思っていましたが、どうやら道をオーバーハングする箇所のようです。潜ってみるとレンガのアーチがきれいです。隧道を出て左折すると今度は整備された広場に案内看板がありました。背後にはレンガを積み上げた小さな橋梁。赤橋と言うそうです。赤橋を潜ってくるっと回ると元の道に出られました。

隧道の中は明治のレンガがきれい
こちらは赤橋

赤橋を下から覗くと、木の部分は線路跡?

これが線路跡 この下に隧道があり、ちょい先に赤橋があります

帰宅後『大仏鉄道』を調べると記事が山ほど出てくる。明治時代にたった9年間しか存在しなかった鉄道ということで、当たり前ですが蒸気機関車(SL)が走ってたって。当時の写真とかあまり残っていないそうですが、ちらっと出ていたSLは深紅。なんとオシャレなんだ。SLって黒が相場と思っていましたが、大仏鉄道のそれはまるで「きかんしゃトーマス」に出てくるジェームズですよ。英国製なんでしょうか。

上が大仏鉄道 下がジェームズ 似てるっしょ?

因みになんで9年で終わったかと言えば並行して関西本線が開通したからだそうで、そんなん初めから判ってたんちゃうん!と突っ込んでしまいました。

住宅地の広々道路を疾走し、JR木津駅を通り抜けてR24から佐紀古墳群の間を抜けて帰宅。本日走行45.4km。

住宅地には京大農場がありました

JR木津駅 何の形なんでしょう?

佐紀古墳群にある「ウワナベ古墳」もはや島みたい…

しかし、更にびっくりしたのは大仏鉄道の終点は「奈良駅」ではなく「大仏駅」だったこと。跡地は知っています。すぐ近くの病院にオカンが入院していたので車でよく通っていました。車輪が置いてあってなんじゃら?と思っていたものです。もう一つは昔ドリームランドという遊園地があったすぐ前の道路。今は県道で奈良駅に至る幹線道路ですが、一帯を黒髪山というのです。広めの切通のようになってるそこが大仏鉄道路線でしかもトンネルがあったって。黒髪山ってマジで山だったんですね。そしていつも車や自転車で走ってる坂道を120年前はSLが疾走し、トンネルを抜けていたとは。

まさに時間のトンネルを抜けたようでありました。

本日デビューのシートポスト Tioga Scepter Carbon