2015年2月28日土曜日

TOJ京都ステージ予定地

午後から来客予定があったので午前中に行ってそうで行ったことない奈良市高山地区から山城方面へのカントリーロードを周回。

富雄川沿いを北上し、茶筅の故郷・高山地区から県道65号へ右折。既にこの辺で充分カントリーロードですが、道は緩やかに登って山間部に入ります。竹林の奥から鶯の囀りが聞こえます。田畑・林・溜池の中を登って下って府道72号との交差点を北上すると京田辺市。この辺は標高200m余の丘陵地帯で、更に西には京田辺市の山岳地帯?「高船」「天王」地区があります。来年のツアー・オブ・ジャパン京都ステージではこの辺りがコースの候補地だそうで、それに相応しい「山ばっか」の一帯なのです。何年か前にクロスバイクで踏み込んでえらい目に遭いました。

ここらの地名の特徴は「高船某」「天王某」の某がやたら多く、こんなにも地名を分ける必要があるのか と地図を見ると頭痛がするほどです。府道65号沿いには「打田某」、もう少し先に行くと「水取某」「普賢寺某」になります。この一帯から東大寺のお水取りに使う松明の竹を運ぶ話は有名なので「水取」って地名はそれに関係あるのかな。「打田」はその昔住んでいた「内田外記(長岡藩家老)」に由来するそうですが、「高船」やら「天王」って昔UFOから空の大王が降りてきた…って由来?。京都ステージでは是非その辺「ある事ない事」をアピールして欲しいものです。古代宇宙人到来の地を駆ける京都ステージ! 世界の観光地・KYOTOのイメージは、やがて宇宙の観光地に拡がるのだ。

丘陵地帯を駆け降りて、集落のある地域に入ります。きっとこの道はTOJのコースですね。普賢寺で京奈和自動車道の高みを潜ると「ふれあいの駅」がありました。トイレついでに朝取り野菜に並んでた「よもぎ餅」を来客用に購入。更に近所の観音寺にお邪魔。ここは元々地名由来の普賢寺なるお寺だそうで建立は7世紀に遡ります。昔はもっと大きかったようですが今は竹林にそっと抱かれている感じ。参道に桜の木が並んでいたので、あと1ヶ月もすると見事に違いありません。

周囲はすっかり平地になり、関西の名門・同志社大学のキャンパスが見えてきました。山のてっぺんに茶色い近代的な建物が並び、周囲から完全に浮いていて、まるで「同志社マチュピチュ」。ここらに居る人の平均年齢も確実に40歳は若いでしょうね。長女が通っていたので私も何度かキャンパスに入ったことありますが、広大な構内です。教室間の移動はバス停1区間分はあります。スケボーでも乗らないと遅刻します。え?坂?若いんだから頑張れ。

府道をそのまま東進すると、鉄道高架を潜り木津川を越えてR24に到達。ここから府道70号の南山城ポタリングロードを走ります。慣れた道ですが、今日は「蟹満寺」に寄道。「蟹の恩返し」で知られる古刹ですが、行ってみると木の香りも初々しい物件。5年前に建替えされたそうです。お賽銭入れて鉦を一つ叩き合掌。陽射の柔らかい土曜日の午前、箱庭のように美しい境内はひっそりと静まり、瞬きすらコダマになって返ってきそうでした。

再び府道に戻り、上狛からR24を走り佐紀古墳群を抜けて帰宅。本日走行46.1km。緩急も丁度良い午前コースでした。

しかし年度末なのか道路工事がやたら多い。大抵工事区間は片面通行で、誘導のおっちゃんが赤旗・白旗振ってくれますが、共通プロトコルがないのか人によって振り方が違って遠目にはGOかSTOPか判りません。おっちゃんも焦ると持っているのが赤だか白だかどうでもよくなりやたら振り回します。全国統一、赤と緑で挙げるだけにしてくれんかな。人呼んでシグナルマン。

挙げるの間違えると… シクジルマン。 シャレで済まんけど。(゚д゚)

京都ステージ候補の小学校前交差点(奥は枚方)

同志社大学正門

同志社マチュピチュの建物群

まっさら感の蟹満寺

香炉にもこんなお茶目なカニマーク

2015年2月21日土曜日

天下分け目のタジン鍋

朝ドラを見る習慣がない私は、初めて中島みゆきさんの「麦の唄」をFMで聞いた時には「なんでこんな歌作ったん??」と驚愕。♪むーぎは泣きぃむーぎは咲きぃ♪って意味解んね…、が氷解したのは年末の紅白でした(おそ)。その朝ドラ・マッサン効果と昨年世界No1になったサントリー山崎効果で現在ウィスキー販売は好調だとか。

本日の枚方周回は、そのサントリー山崎蒸溜所を組み込んでみました。なのでいつもと違って淀川北岸を走行。まず枚方大橋を渡ります。これがね、枚方公園駅付近の下道から入ろうとしたものだから道が迷路。目の前に見えてる橋に辿り着けず10分以上ウロウロしようやく渡橋。北側の河川敷の道を北上します。が、やたら門型自転車ゲートが多くスピードは出ません。初めての道ですが対向で自転車が来るので大丈夫やろとのんびり走ります。ずっと前方に山頂に雪を冠した山々が見えました。結構高いけどどこ?

対岸に樟葉を過ぎ川が大きくカーブ、テニスコートが見えてきたら左を走っているR171に登ります。道路と線路を潜って工場横を走って右折すると、天王山の懐に抱かれたサントリーの山崎蒸溜所が見えました。手前にJRの踏切があってカメラを構えた人多数。SLでも来るのかなと待ってると関空特急(一反木綿みたいな顔の)が走ってきました。毎日走ってるし珍しいかなと首を傾げながら踏切を渡ると、大きなタジン鍋みたいなのが鎮座。工場の間を通る道を行くと左右に施設があります。見学の人多数ゾロゾロ。あちこちに巨大タジン鍋があったので、丁度見学者を誘導していた社員さん?に聞いてみました。

「ウィスキーを蒸溜する釜です。寿命が30年位なので、古いのをモニュメントにしています」との事。有難う田中さん。製造工程はよく知りませんが、横から見ると釜の先端が曲がっていて、そこからヒョハヒョハとウィスキー(の原料)が出るのだそうです。それに地形図でこの辺り(島本町~大山崎町)を見ると山が迫って平地がタジン鍋の形なんですね。変な偶然。

再びカメラマン大量の踏切を越えて線路沿いに走ります。狭い道です。ここら辺も天下分け目の山崎の合戦の舞台で、街中の看板には羽柴・明智の家紋が仲良く描かれておりました。道はR171に戻ります。少し行くと大山崎JCT。ここでR478方向に右折し、桂川を越えて府道13号に入るとすぐ御幸橋。そのまま木津川CLを走って帰宅。本日走行73.6km。暖かく、風も少々で快適なツーリング日和、ロードバイクも多数見かけました。春が近いですね。

目前には淀川、背後に山を背負った大山崎は、地形上も「分け目の戦い」に相応しい隘路です。「天下」や「京・大坂」を分けた場所に、今は名神・京都縦貫・京滋BPをつなぐ複雑なJCTがあります。更に秀吉が陣取った天王山には名神高速のトンネルが4本も掘られ、東西交通の幹線になっています。昔は秀吉を食い止める為に明智方が布陣した場所が、今では人や物をスムーズに流す要所になっているって不思議な気がしませんか。400年以上を経て双方のわだかまりもスムーズに流してくれるといいなあと思います。

え?天王山トンネルは渋滞の名所?

スムーズに流れぬ怨念がおんねん。あら。( /_ _)/

いきなりタジン鍋(蒸溜釜)がお出迎え

堂々 世界一「サントリー山崎」

天下分け目の町の中です

第2名神 木津川架橋開始 橋の中ってこんなの

2015年2月15日日曜日

鎮魂の瑠璃

先先週の週末、まだ50歳にならない従弟が急逝、土日は葬儀で大わらわ。原因は膵臓癌で、発見から1ヶ月。沈黙の臓器と言われますが黙り過ぎやろ。我が家系には珍しいスポーツマンだったので非常に残念無念。参列には競技関係者も多く、腕を包帯で吊った人や松葉杖の人やら(どんなスポーツや)、有難い事ながら少しびっくり。

その葬儀の終盤、ウチの母親がホール内で転倒し腰骨を骨折、「大わらわ²」になりました。初七日法要会場の3階まで階段で登り、最後の一段で蹴躓いたとの事で、そのまま動けず救急車を依頼。時刻は17時を過ぎ、その日のお通夜で1階ホールが賑わう中、喪服の婆さんを乗せたストレッチャーを救急隊員が押して、受付や参列者の皆さんに唖然とした目で見送られてしまいました。皆さまご迷惑をお掛けしました。<(_ _)>

そのまま近くの総合病院へ入院し手術を受け、全治1か月~2か月の診断。セレモニーホールからもお見舞いを受け、病室には葬儀屋さんと寺院さんから頂いた花が並ぶ凄い光景になっております。まあこれ以上悪くはならないのは気が楽ですが、何の準備もなしに入院されるとフォローが大変。車で30分位の場所ながら「あそこの下の、あれ?上かな、あれ持ってきて」とか譫言並の指示でモノ探して往復ですから手間かかる事。年寄が無理に頑張ると碌な事にならんと言うことです。

なのでこの週末も病院通い。幸い場所が奈良市ダウンタウンなので、昨晩は「なら瑠璃絵」の最終日を見に行けました。奈良公園・東大寺・春日大社・興福寺付近を光の回廊化する冬のイベントです。新公会堂庭園から東大寺にかけての奈良公園はまさに瑠璃色の幻想の中。最終日とあってたくさんの人で賑わっていました。オレンジ色の回廊を歩くと、傍らに霧立ち上る水面とそれに続くLEDブルーのコラボが新しい幽玄を醸し出し、鎮魂の瑠璃にも見えました。能装束が重なって見えたのは錯覚だったのでしょうか。

日本の灯りと言えば古来から提灯や行燈のように和紙を透かした柔らかい光。当地はまさにそのような灯の似合う地なのですが、意外にもLEDの直線的な光とのコラボは新鮮。東大寺大仏殿前の鏡池では水上にプロジェクションマッピングまで映し出され、時代チャンネルが一つ回された感がありました。大仏様はどう感じたでしょうね。

そして本日2週間ぶりのペダリング。午前中にそそくさと木津川CLの御幸橋まで往復。天気予報では高気圧に覆われてくる筈だったのに、北の方を遠望すると靄の中。御幸橋まで来ると遂に雨がぱらつき始め、木津川東岸の管理道路を退却。山城大橋から南山城の街道ポタリングの予定でしたが、山際は重いダークグレーの雲の傘。諦めてCL往復となりました。本日走行68.2km。

しかし、この節電時代にあちこちで光の祭典ができるのは、本当にLEDのおかげですね。

Low Energy Display (!) 

なら瑠璃絵 新公会堂庭園

なら瑠璃絵 幽玄の舞台です

本日の流れ橋 修復中なのか諦めて放置されてるのか不明

2015年2月1日日曜日

メープルつながり

小雪がちらつく1日、北西風が強い中を橿原まで往復。これという目標がない時に走るコースで、金剛葛城自転車道で大和高田から橿原市今井町へ、そのまま大和中央自転車道で戻るフラスコ型。

今井町は中世から称念寺を中心とする寺内町として発達した経済力のある自治都市ですが、今なお当時の街並みが多く残る事から、建造物の保存地域に指定されています。何度か回りましたが、公共施設や店舗もお揃いの形になっており、縦横の狭い路地を散策するには良い所です。

格子の続く街並みは迷路のようですが(そう作ってある面もあるようです)、ふと「めいぷる」という看板が目に入り入ってみました。メープルと付くモノには異常に親近感が湧くのですね。中は雑貨屋さん兼カフェです。カフェと言っても土間で靴を脱いで畳の間に上がります。床の間?にまでバランバランに置かれたバラバラの机と椅子。板を張った壁には世界の民芸品や小物たちが掛けられ、低い天井からも金魚始めいろんなものがブラブラ。見事な雑多屋さん?でした。

ですが梁には電線が縦横無尽。電化製品が増え、カフェ用公衆Wi-FiのAPまであったりして、中世の家屋では相当無理があります。床も傷んできたそうで、現状保存と機能保全のギャップは深刻です。この店もそろそろ考え時との事でした。気のせいか周囲に空家(廃屋)も目立ちます。寒い冬の日、街を散策する人もまばら。狭い道で縄跳びする子供達はこの街が「生活の場」である事を語っています。建物を維持するだけでなく近代生活の場とテーマパーク要素を連立する難しさは容易に想像できます。みんなひっくるめて街ごとリフォームする匠は出てこんかな。

で、「めいぷる」の由来を女将さん?に聞くと、元共同経営の友達が「メープルシロップがどうのこうので…めいぷる!」と付けたそうで結局何も判らず。少なくともカナダとは関係ないみたいです。メープル繋がりをいろいろ探しても面白いかもね。本日走行60.1km。

さて、1週間ほど前の晩、突如左耳に耳鳴り発生。キーンとシーンの間くらいの音がコンスタントに聞こえます。「小さいアラレちゃん」が飛んで来たかと思いましたが、取り敢えず綿棒でゴソゴソやっても変わらないので昨日耳鼻科へ。聴音・骨導聴音も調べてもらい、結果は「加齢と疲れによるもので治療不能」。聴力は充分なのでNo problemとベテラン女医殿に断言されました。加えて毎年発電所並みにバチバチ大変だった静電気が今年はまだチラホラ。電力不足の時に役立たずとは思いますが、身体状態は地殻変動のように静かに(耳鳴りはうるさいけど)進んでいます。もしやこれはフジサンのフンカを予知しているのか?

いやオジサンのヘンカです。 ( ´灬`)

今井町ではKUMONも寺子屋風

めいぷる さん(エアコンのダクト配管苦労してますね)

勝手に駐輪していると「不届き者 御用だ!」になります?