2014年5月31日土曜日

爺様が見た洞ヶ峠

まんまのタイトルですねん。枚方周回コースを走りましたが、以前から行ってみたかった洞ヶ峠を経由しました。そして、先週、長女が出産し、孫が生まれました。私は爺様です。いやいやいやいや・・・宇宙の果ての話のようだ。

枚方、と言うか交野までは従来のR168。第2京阪道を潜って間もなくの「新天野川橋」を右折し府道18号(東高野街道)に入ります。幹線道路ですから交通量多し。「梅が枝」「郡津(こうづ)」「出鼻橋」と珍名交差点が続き、R1とクロスしたところで右折。天下の国道1号線を大型貨物車の陰になりながら走ると緩やかな上り坂の頂上近くにいきなり「峠の茶屋」出現。そしてその場所こそ大阪・京都の府境であり、「日和見」ゆかりの洞ヶ峠でした。感慨全くなし。国道脇にあるのは茶屋だけで、よく判らん状況。峠の割に大した標高はないですが、建物がなかった昔は、きっと淀川、木津川まで見通せたのでしょう。騎馬隊が上げる遠くの土煙も観望できたのでしょうね。でもまあ史実は筒井順慶がそこで様子見したのではなく明智光秀が洞ヶ峠まで進出して順慶を待ってたってことのようですが。

順慶さんはどうも洞ヶ峠・日和見のイメージが強く、余り心象宜しくない殿様のようですが、実は文化・芸術への造詣も深く、大将としての実力も相当であったと言われます。関ケ原西軍の猛将・島左近は順慶の元家臣であり、大変に順慶を慕っていたそうです。ま、天下分け目の戦いを、どちらにも組せず見てただけってのもなかなかの胆力と言えるのかも知れません。

洞ヶ峠を越えて、左折・東高野街道を走ります。いつも南下してくる道なのですが、北進は初めてなので何か新鮮。飛行神社にお参りし、京阪・八幡市駅前まで走ったら、石清水八幡宮の鳥居の前で、またレトロな店を発見。お茶屋さんかな?と入ってみると、すかざず社長兼和菓子職人って感じのまあるい顔のおじさんが出てきて「いらっしゃいませ。どれにしますか?」
私の背後には女将さんが控えており、挟み撃ちで買わざるを得なくなりました。どれ とは八幡名物の「走井餅」のことで、選択肢は5個入か10個入かの2択。元々何じゃらほい程度の興味だったのですが、一度位買ってみてもいいかなと決断。しかし私の背負ってるバックパック(deuter 6L)は細身なので5個入のハコしか入りません。要は実質的に1択で、5個入をお買い上げ。

長女の婿殿にあげようと品物をバックパックに入れてたら、先程のおじさんが「あー!水平に持って下さい。柔らかいんで偏ってつぶれます」 いやいや・・・ どう見てもムリでしょ、私の格好見れば。「時々ひっくり返して均等に偏らせますわ」と強行にパッキングし出発。府道22号を走って流れ橋SAへ。「はしりいもち」なんてネーミングなんだから走行お持ち帰りにも対応して欲しいけど。

それにしても今日は暑い。黄砂なのかPMなのか、山々も白く霞み、下手すりゃ熱中症も警戒せなあかん感じ。流れ橋SAで休憩後、復活した流れ橋を渡ってみました。新たに修復された部分は木のいい匂い。ポコポコ渡って木津川東側の管理道路を走行。山城大橋からは府道70号に入って南山城ポタリングコースを走って帰宅。本日走行61.5km。洞ヶ峠を経由した分、ショートカットになり距離は10%オフでした。

さて、帰宅後長女のいる産院へ行くと、婿殿のご両親、婿殿のご友人と病室ぎっしり。偏った「走井餅」は婿殿のご友人の手に渡りました。暑さの影響なかったか、ちょっと心配。お孫クンは明日退院予定です。私も二十数年ぶりの新生児生活。うーん、忘れたけど大変そう。

と言うことで、5月は480km余走れましたが、来月は子守が入るので走行距離はダウンの予定。

こもりで引きこもり?

洞ヶ峠の茶屋 営業中ですよ!
峠に見えないけど看板にも堂々洞ヶ峠

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