2020年12月13日日曜日

機関車ジェームズが疾走した大仏鉄道

 先週、再度シートポストを交換し、試運転を兼ねて加茂へポタリング。

二本締めに変更しました。タイオガの”Scepter Carbon SeatPost” 公称180g。見た目は非常に地味ながらガッチリしたレールマウント部分が安心感。走り出して数十メートルで「あ、これで大丈夫」と感じました。結構荒れた舗装路を走ったけど緩むことなく走れました。シートポスト&サドル問題もやっと一段落。

コースはいつも通りに府道で加茂まで出ましたが、そこから西へ進み集落の中の走ったことない道へ。山際なので西風除けられるかなと安直な考え。一応MAPで確認すると木津駅東方の新しい住宅地に出られる筈。のんびりした道です。軽トラ1台がようやく通れるくらいの所もありました。お決まりのように小さなお寺があって、冬支度をしている農家のばあちゃんに出会ったり。

梶が谷隧道

集落を過ぎ、木々の隙間からJR線路を見降ろす地点を過ぎ、ハイキングらしき中学生?のグループを追い抜くとすぐに目の前が開け広大な住宅地が現れます。URが開発した城山台ですね。つーっと走り抜けようとしましたが目の前にオッサンのママチャリが現れ徐行。ん?左手に不自然な舗装路とともに看板が見えました。気になったのでくるりと戻って見てみると『梶が谷隧道←120m』。サブタイトルに『大仏鉄道遺構めぐり』とあります。

おお!大仏鉄道。地元のローカルニュースで聞いた事あります。昔の鉄道で加茂から奈良まで走ってたって。何故そんな不採算そうな路線作るかなと疑問でした。120mならいいやと矢印の方向へ坂を下ります。すぐに右折×2で元の道をくぐる形のレンガのアーチが見えました。私、大仏鉄道のトンネル跡と思っていましたが、どうやら道をオーバーハングする箇所のようです。潜ってみるとレンガのアーチがきれいです。隧道を出て左折すると今度は整備された広場に案内看板がありました。背後にはレンガを積み上げた小さな橋梁。赤橋と言うそうです。赤橋を潜ってくるっと回ると元の道に出られました。

隧道の中は明治のレンガがきれい
こちらは赤橋

赤橋を下から覗くと、木の部分は線路跡?

これが線路跡 この下に隧道があり、ちょい先に赤橋があります

帰宅後『大仏鉄道』を調べると記事が山ほど出てくる。明治時代にたった9年間しか存在しなかった鉄道ということで、当たり前ですが蒸気機関車(SL)が走ってたって。当時の写真とかあまり残っていないそうですが、ちらっと出ていたSLは深紅。なんとオシャレなんだ。SLって黒が相場と思っていましたが、大仏鉄道のそれはまるで「きかんしゃトーマス」に出てくるジェームズですよ。英国製なんでしょうか。

上が大仏鉄道 下がジェームズ 似てるっしょ?

因みになんで9年で終わったかと言えば並行して関西本線が開通したからだそうで、そんなん初めから判ってたんちゃうん!と突っ込んでしまいました。

住宅地の広々道路を疾走し、JR木津駅を通り抜けてR24から佐紀古墳群の間を抜けて帰宅。本日走行45.4km。

住宅地には京大農場がありました

JR木津駅 何の形なんでしょう?

佐紀古墳群にある「ウワナベ古墳」もはや島みたい…

しかし、更にびっくりしたのは大仏鉄道の終点は「奈良駅」ではなく「大仏駅」だったこと。跡地は知っています。すぐ近くの病院にオカンが入院していたので車でよく通っていました。車輪が置いてあってなんじゃら?と思っていたものです。もう一つは昔ドリームランドという遊園地があったすぐ前の道路。今は県道で奈良駅に至る幹線道路ですが、一帯を黒髪山というのです。広めの切通のようになってるそこが大仏鉄道路線でしかもトンネルがあったって。黒髪山ってマジで山だったんですね。そしていつも車や自転車で走ってる坂道を120年前はSLが疾走し、トンネルを抜けていたとは。

まさに時間のトンネルを抜けたようでありました。

本日デビューのシートポスト Tioga Scepter Carbon


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