2015年12月27日日曜日

本年ラストは桜井へ

昨日、本年ラストランで桜井・橿原周遊。

まず、久し振りに白川ダムへ。12月末の農業ダムなんて誰も居らんだろーと思ったらアングラーたくさん。まさかワカサギでも居るのかな? 釣りには詳しくないけど、鯉や鮒では年末の忙しい時期、大掃除の分担表持った嫁さんへの説得材料には不足感。鯛なら大ヒットで窓拭き免除!とかなりそうだけど、ダムではねえ…。続いて天理教の催事で大賑わいの天理市内を抜けてR169で桜井へ。2か月ぶりに4'seasonを訪れ、季節メニュー「ぜんざい」を頂きました。南西風が強く寒かったので、ほっこり。何でもいろんな「ぜんざい」を出す店が増えているそうで、夏のかき氷に次ぐ和カフェブームなんでしょうか。相変わらずエネルギッシュなりょうさんには頭下がります。

白川ダム 穏やかな冬の日の静かな湖面です

ちょうどSHARPさんの研究所が見えます。頑張れ~。
 少し南へ走って「本薬師寺跡」へ。コスモスの頃、藤原京跡に隣接する資料室の「藤原京縮小模型」で見つけ、マークしていたのでした。薬師寺と言えば奈良・西の京で、凍れる音楽・東塔が有名です。どうやらこの薬師寺は、藤原京から平城京への遷都時に藤原京にあった薬師寺を移設したもののようです。とは言え、よいしょと運んだって訳でなく(そう言う説もあるそうですが)、新たに西の京にも建てーの、藤原京のものも残しーの、の時期があったけど、結局藤原京のは壊されたって感じ。両方あったので藤原京のは’元祖’の接頭語がついて「本薬師寺」と呼ぶとか。へーそうだったのか本薬師寺。

藤原京の薬師寺は、天武天皇が嫁さん(鵜野讃良:うのさらら)の病気の回復を願って建てたそうで、確かに薬師如来は「瑠璃光をもって衆生の病気を救う」たる使命を帯びているそうですが、そんな理由で寺建ててたら、そりゃ奈良県は社寺仏閣だらけになるわなあ と思いました。嫁さんの病気はね、治ったんですよ。流石に薬師如来。だってその嫁さんって後の持統天皇ですから。
でもよーく家系図見たら、讃良さんは天武天皇の兄(天智天皇)の娘って事は姪っ子じゃん。今なら近親婚でアウト。ま、姪っ子は可愛いって言うし、1300年前の事なんでしゃーないけど。

この辺り、古代史実がもっと具体的に浮き上がって来たら、大和の古代ミステリーはギリシャ・ローマ神話並みに面白くなってくるでしょうね。持統天皇については、里中満智子さんが「天上の虹」として23巻の漫画に描かれましたが、例えば三国志並に「誰それ白鳳物語」みたいな味付けがあればより面白いでしょう。京都とは違った日本の姿が確立出来そうな気がします。

本薬師寺跡には礎石らしきが数基あるだけでした。プロジェクションマッピングとかWEBでのバーチャル映像とかがバーンと出れば説得力もあるのですが、現状では想像するしかありません。薬師寺に近い規模とすると相当な拡がりがあったと思われます。

本薬師寺 金堂跡の礎石

本薬師寺 かつて西塔が聳えていた跡

ここからは橿原神宮がすぐ目の前。踏切渡って大和中央CRに合流。川沿いの日当たり良い場所ではセキレイ達がたくさん休憩中。近づくと、テケテケぴゃーっと走って飛んでゆきます。ジュラシックパークの小型恐竜が走るさまとそっくり。やっぱ恐竜にも毛が生えてたんと違うん?そして途中の川西町唐院付近では、以前リードでCRを塞いでいたヤギさんに遭遇。今日は土手で大人しく草を食べていました。停車すると「何かちょーだい」と寄ってきます。が、カメラ向けると「食べれんもんはいらん」とソッポを向いてしまいました。随分人馴れしてます。なんて呼んでいいのか解らんので、「やあ メエちゃん」とか呼んでましたが、そのうちメエメエ権(命名権)売ったるで とか言いそう。本日走行71.2km。

何かくれ と横長の瞳が訴えます
 2015年の走行距離は3652kmでした。1ヶ月平均300kmですが、落車によるブランクが1ヶ月ほどあったので合格、メタボ対策有効と判定しました。

最後にお知らせ。先日終了したShort Storyスペース・ラヴの全編掲載ページを作りました。構成変更が面倒なので「メディカルページ」の中に入っていますが、頁末尾リンクからは直行で飛べます。

公私とも「良い事」「良くない事」が次々起こった1年でした。来年は嫌な事は全て「サル」と考え、ポジティブ志向で行きたいと思っています。私の年越しは北九州の予定です。1年間アクセス有難うございました。皆さま良いお年をお迎え下さい。

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