2015年6月20日土曜日

古城発掘

伏見桃山へツーリング。本日の命題は「雨に遭わない」でした。だって天気予報ったら「いつどこで強烈な雨になっても文句言うなよ」でしたから。

元々北方面にと思っていたのが、先週ニュースで、豊臣秀吉築城の「指月城」の一部発掘!画像を見てると、背景は見た事ある風景。と言うことで、伏見桃山直行コースへ。

木津川CRの流れ橋PAから一般道に出てR1BPを走るコースです。R1BPは半分くらいが高速道路の下なので、屋根も確保。大型トラックと並走し、途中で大手筋通へ右折、R24を南下。ここからは手探りでした。団地の近くは判りますが、道は迷路で、見えてるのに行けない状態。3度目の正直の曲がり角が正解。何となく工事現場を囲ってあり、人々がそぞろ歩きで集まっています。入ってみると既に黒山の人だかり、作業服のオジサンがハンドマイクで説明しています。聞いていると結構ミクロな説明で明日香との違いを感じました。こちらは一点物の発掘です。

現場もマンション建設場所との事でそれ程広くありません。解説では未だ諸説あるものの、ほぼ指月城のスケール感まで掴めている様でした。
ここでミニ解説。 指月城は豊臣秀吉が晩年を過ごすために建てた別荘目的の城です。入居2年後に伏見大地震で倒壊し、その後、場所を少し変えて代わりの城が建てられ(木幡城)秀吉はそこで亡くなったと言われています。たった2年の存在だったせいか指月城の確たる証拠がなく「指月城はなかった」という説もあるようで幻の城と言われていました。それだけに今回の石垣発掘は重要なんですと。

南側がすぐ宇治川、西側は緩やかに下る絶景の場所。きっと大阪まで見通せたに違いありません。お堀には自然の川の流れを利用し、聚楽第と同様の工法で施工。宇治川を挟んで南側は向島と言う「巨椋池干拓」で有名な場所で、当時は湖上。きっと伏見指月城に向かいあう島(当時)という命名ではなかったでしょうか。巨椋池はその後も治水工事を受け大きく形を変えてゆきますが、その昔はこの一帯が都会のベイエリアであったと思われます。指月城はそのランドマークだったのでしょう。

何となく福知山動物園の園長さんを彷彿させる解説のオジサンの話は益々ヒートアップ、この勢いでは徳川十八代まで行きかねないので、頭上の黒雲を理由に、発掘された金箔付き瓦を拝んで途中退散。疎水沿いをポタリング、十石船・月桂冠記念館・寺田屋前を走って魚屋通りへ。はい、寺田屋ですよ。池田屋とごっちゃになる人多いですね。
ミニ解説その2。 寺田屋は坂本龍馬がステイ中に伏見奉行に踏み込まれ、入浴中だった奥様(お龍)がハダカで?通報して助かった事件の舞台。片や池田屋は攘夷の志士たちを新撰組が襲撃した事件で有名な旅籠です。龍馬はその際に受けた傷を癒すべく奥様と薩摩の温泉巡りをして、それが日本初のハネムーンと言われているとか。ま、どっちでもいいんですけど。

中世から幕末まで走り抜けた後は再度R1BPを疾駆、宇治川を越えて八幡市・京田辺市と進むと青空さえ望め、あんなに慌てて帰らなくて良かったかも と少し後悔。何しろ徳川十八代をすっ飛ばしてしまった…。すんません、解説オジサン並びにトクセン家の皆さま。本日走行82.1km。

そして本日デビューのギアが2点。パールイズミの夏用ロングレーパン”COLD-BLACK"。これまで夏はGOLDWINのレーパン使っていましたが穴が開いて結構ボロ。代替品を探しましたが意外とないんですね、夏用は。そこでやや高価でしたがパールイズミに手を出してしまった…。え?何で夏にロングって? そりゃ素足にイモムシ・ケムシがへばり付くのを防ぐためでしょうが。
もう一つはヘッドライト。CAT-EYEの充電式HL-EL460。昼間では効果は判りませんってことで先程従来のCAT-EYE(電池式)と比較。結果、すげー違い。5倍位明るかった!照射範囲が全然違います。人気ある筈ですわ。今度トンネルでも走ろ。

で、みんなが気になっていると思うのですが、発掘現場に建築予定のマンションって無事に建てられるのだろーか。あの勢いでは石垣みんな掘り出すまで発掘終わらない感じです。次いでシャトー指月の復元へ。なので… マンションは別のどこかへ。

太閤換地 と申します。 えーっ! (*_*;

これが金箔瓦。 控えおろう!

衆目独り占め。見事な解説でした。

時代は飛んでも 寺田屋 今も営業中

最新兵器 ネコ目EL460 背景が長閑ですけど。

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