加茂へはいつもの木津川沿い府道を走ります。今日は恭仁京跡に行ってみました。恭仁京とは平城京から遷都されかかった幻の首都です。8世紀に聖武天皇が一旦、平城京から恭仁京に都を移したのですが、完成を見ないまま3年後に難波京、その翌年には平城京に戻るというバタバタだったそうです。
そんな未完成の都跡ですから何もありません。礎石のようなものがある原っぱって感じ。親子が凧上げを楽しんでいました。桜がたくさんあったので、4月はきれいでしょうね。びっくりしたのは隣接する恭仁小学校。今時珍しいALL木造一部2階建て。勿論サッシ等は替えられていますが講堂なんかは昔のまんまって感じです。私が入学した小学校も木造で、ぼやーっと風景を覚えていますが、同じ感じです。内装や設備類は替えざるを得ないと思いますが、外装はこのまま引き継いでいって欲しいなあ。木はいろんな事を語ってくれます。
再び加茂を経由し奈良方面へ。今日は住宅地を横切るのではなく、その手前の農道を走ってみました。府道44号から「上梅谷」の看板を左折、始めは田畑の中の小道です。舗装はされていますが土砂が流失したようで、殆ど砂に覆われている部分もあって、しばしスリップ。飛ばすと危険でした。そのうち農村の集落の中に入り、住宅地の擁壁に沿って走ると林の中の急勾配。登り切ると奈良市の浄水場がありました。
住宅地の外周に当たる小道を西に走ると奈良街道に降りる急坂。出た所はお馴染み植村牧場の少し北でした。地理は判ったので、そのまま南下し、奈良北町から東大寺へ向かいます。少し正倉院の周りを押し歩いてみました。宮内庁の事務所棟はすぐに判りましたが、それ以外はどこに何があるのやら。周囲には冬鹿たちが屯、カメラを取り出すと「何かくれるの?」っていう眼でこちらを見てくれます。親鹿は「あ、これは駄目パターン」とすぐに察しますが、小鹿ちゃんはずっと期待して見てくれます。目が合っちゃうのが照れくさい。「ごめんねー何もないよー」を繰り返していました。バンビがっかり。
冬の東大寺を抜けて飛火野へ。さすがに人は少ないです。「たんちょう」を風景の中に置いて写真を撮ると、カタログ写真みたい。流れる雲は速く陽射しも出たり入ったり。気まぐれな冬の天気に寒くなり、そのまま帰ってきました。本日走行48.6km。
なんで度々遷都したか。当時の聖武天皇は仏教派の真面目な人だったようで、何かしら災いが起こると、それを気にして首都を代えたみたいですね。天皇が宣言すれば遷都は成り立ったので今ほど大層なことはなかったのかも知れませんが、5年で3回(恭仁・紫香楽・難波)ですから行政官たちも「いい加減にしてくれい」と怒ったと見え、最後は平城京に戻ったようです。優れた和歌を残して居る文化人なので、時代の巡り会わせもちょっと可哀想でした。
因みに聖武天皇は本名を首皇子と言います。彼がコロコロ都を代えたので、以後「首都」と言うようになりました。
ウソです。<(_ _)>
恭仁小学校 いい風景ですね |
くれるの? くれないの? |
GENNIX-R2 2014年型 at 飛火野 |
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